近江高等学校(滋賀)
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走塁力で5年ぶりの甲子園へ
▲近江高校野球部 多賀 章仁監督
近江の名物練習 100メートルダッシュと三角ダッシュ
近江を率いて、今年で24年目となる多賀章仁監督は、走力についてこう語る。
「野球は、全ては下半身からだと考えています。そのため、新チームを作り、次の夏へ向けて鍛えて行く上で、チームの中で“走塁”をどう位置付けて考えていくのかが重要だと思います。そのため、冬場の走りこみはチーム作りの根幹となってきますよね」
近江では、坂道ダッシュ、琵琶湖の砂浜を利用してのダッシュなど、冬場は徹底して行っている。さらに、冬休みから年末までの短期間で行う強化練習で名物になっているトレーニングがある。それが、100メートルダッシュと三角ダッシュ。
ダッシュトレーニング
「100メートルダッシュは、グラウンドにラインを引いて100メートル(の直線)を作ります。強化練習の1日目は30本、2日目は50本、3日目が70本、そして4日目に100本に増えます。三角ダッシュは、甲子園初出場の前年の1991(平成3)年に、うち独自の練習として始めました。
方法としては、まずホームから、ライト・レフト・ホームへと三角形に走ります。これは100メートルダッシュと連動していまして、30本の日は9本、50本の日は12本、70本の日は15本、最後の100本の日が18本。先に100メートルをやってから、三角ダッシュという順番ですね」
この近江の名物練習は、雪であろうが雨であろうがどんな条件でも必ず実施する。多賀監督は続ける。
「100本の日は午前から午後にかけて長い時間がかかりますし、選手にとってはかなりの試練だと思います。中にはダッシュにならない子もいたり、途中でリタイアする子もいる。でも大事なのは、他人と比べるのではなくどれだけ自分と勝負できるかということ。きついし、大変だけど、自分への挑戦ですね。(通常練習も含めた)練習の最後の段階でも、平気に走れる体力が必要なんだと選手に感じ取ってほしいです」
冬場を耐え抜いた後はどうか?
実戦モードになっているシーズン中は、おもに70~80メートルを走る。長い時間をかけた下半身トレーニングで、脚の筋肉が鍛えられ、選手が『甲子園でも戦える脚力がついてきた』と自信を持てるようになれば、冬場の練習が一定の成果を得た瞬間になるのだ。
“肝”である目配り、気配り、心配り
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もう一つのポイントである走塁術に関して多賀監督は、「机上の考えでくどくど言っても、選手はうまくならない」と話す。この部分に関しては、やはり実戦での経験が一番の練習となるのだ。もちろん実戦後に、反復をするのを忘れてはいけない。就任して20年を超える多賀監督の頭に、今でも鮮明に残っている記憶があるという。
彦根城が見える近江高校グラウンド
「最初に甲子園へ出場した時(1992年)の世代なのですが、ショートに林繁幸(天理大-ミキハウス)という選手がいました。彼は入学当初、体の線が細くて、特別何かあるという選手ではなかった。頭の良い子だったので、マネージャーにしたら役立つかなと考えていました。
彼が2年生になる春先の遠征で練習試合をしたとき、9回一死一塁の場面で代走に送ったんです。ここでヒットエンドランを仕掛けて、バッターがセンターから右中間気味の場所へヒットを放つと、林は三塁まで進みました。
エンドランだったので、守る方も一、三塁になると思ったのでしょうかね。カットした選手がほんの一瞬、気を抜いたような素振りを見せた。それを感じて林は本塁を狙いました。結果はクロスプレーでセーフになったんです。
試合の後すぐに、『お前、ショートをやれ』と言って、それからレギュラーをとりました。その時の試合は引き分けだったのですが、引き分けにした大きな1点でしたね。相手からしたらとんでもない1点ですよね。相手の選手もそれで教訓になったと思いますし、後にウチと同じ年に甲子園にも出ています。“一期一会”という言葉がありますが、そういう一つの出来事は大きいですね」
さらに、この後の夏の大会ではこんなこともあったそうだ。
「滋賀大会3回戦で、相手のサイドハンドのピッチャーを打てずに、0対0で延長戦になりました。10回裏の攻撃で、四球で二死満塁になった時、相手のキャッチャーがタイムを取ったつもりでマウンドへ向かってトボトボと歩きだしたんです。でも(実際には)タイムがかかっていなかった。
トボトボと歩きだしたキャッチャーの動きを見て、三塁走者は本塁を陥れました。当時のチームは、打率1割9分4厘の打てないチームだったのですが、選手個々に隙あらば”という貪欲さがありましたね」
この話の後に多賀監督が強調したのが、“『目配り、気配り、心配り』という言葉だ。常に口にしているというフレーズだそうだが、走力向上の“肝”に実に当てはまる。
先の林選手は、レギュラーでなかった時から、遠征など試合のメンバーには帯同していた。そうした経験を重ねるたびに、なんでもない野手の動きなど、自分の走塁への引き出しを増やしていったのではないかと多賀監督は感じている。まさに『目配り、気配り、心配り』ができる選手だった。その能力こそが、走塁にも生きてくる。
この冬も近江は徹底的に、走りこんできた。春からの実戦でより磨きをかけ、5年ぶりの夏の頂点を掴みたい。
(文=松倉 雄太)