Column

尚志館高等学校(鹿児島)

2013.01.09

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果たせるか?「大隅から甲子園」

 鹿児島の甲子園代表校の系譜をおさらいしてみよう。1925年のセンバツに鹿児島一中(現鶴丸)が初めて出場して以来、薩摩半島の学校しか出場していないことが大きな特徴に挙げられる。それも鹿児島市の学校の占める割合が圧倒的に高い。

 2012年夏の時点で、「御三家」と呼ばれる鹿児島実(25回)、鹿児島商(25回)、樟南(24回)で約8割を占め、このほか鹿児島玉龍(7回)、鹿児島工(2回)、甲南(2回)、鹿児島(2回)、鶴丸(1回)も市内である。市外で甲子園経験があるのは2005年以降急速に力をつけた神村学園(いちき串木野市・6回)のほか、出水商(出水市・1回)、川内実(現れいめい、薩摩川内市・1回)の3校しかない。鹿児島市の占有率は実に92%である。お隣の宮崎県が県庁所在地の宮崎市だけでなく、延岡、日向、都城、日南と各地から出場校があるのと対照的だ。

 2012年秋、大隅半島の志布志市にある尚志館が、鹿児島大会準優勝、九州大会でセンバツ出場の目安となる4強入りを果たした。鹿児島大会は尚志館を筆頭に、鹿屋工鹿屋志布志など大隅勢の活躍が顕著だった一方で、垂水串良商南大隅末吉有明の5校は人数不足でチームが組めず、垂水串良商南大隅末吉有明の2つの合同チームで出場した。有明は今年度で生徒募集停止となるなど、県ではこの地区の統廃合を含めた学校再編計画が検討されている最中。少子化、過疎化対策が急務な地域である。

 尚志館の九州大会は、準決勝で済々黌(熊本)にコールド負けだったため、13年春センバツに選ばれるかどうか、まだ確実なことは言えないが、実現すれば鹿児島に高校野球が産声を挙げて以来、初めてとなる大隅半島からの甲子園出場校が誕生することになる。

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[page_break:打撃練習が7、8割、こだわりは「フルスイング」]

打撃練習が7、8割、こだわりは「フルスイング」

▲とにかく数をこなすバッティング練習

 尚志館の練習は、打撃練習がかなりのウエイトを占めている。アップがすんで、15分ほど実戦形式のノックをした後は、直球と変化球のマシーンを2カ所設置して、1人それぞれ20本ずつ3セット打ち込む。これを通常の練習では部員26人中、投手を除く野手全員がこなす。自分の分が回ってこない間は、横のネットでティーを打ったり、守備についたり、個人ノックを受けるなどそれぞれのメニューをこなしている。

「マシーンを打つのが1人120本、これにティーを入れれば1日7、800本バットを振っていることになります。とにかく『数をこなす』ことを重点においてやっています」

 就任14年目を迎えた鮎川隆憲監督は言う。細かい技術の指導は基本的にしない。「極端に身体が開いてしまっているとか、スイングが崩れている場合は指摘しますが」と、それぞれのやり方に大きく口をはさむことはあまりない。ただ1つだけ、チームで徹底しているのは「フルスイングをする」ことだ。

 鮎川監督は鹿児島南高校を卒業後、明治大に入学。高校、大学と投手で、「監督になりたての頃は、投手と守備を徹底的に鍛えて1-0で勝つ野球を目指していました」。野球観が変わったのは7、8年前のことで、その頃の尚志館は、04年夏に5連覇中だった樟南に勝って8強入りするなどの実績はあったが、1点差の接戦で負ける試合が多かったという。

 以前、鮎川監督は、お隣・宮崎の南郷であるプロ野球・西武の秋季キャンプを見に行ったことがあった。その時、見たライオンズの選手たちが、フリー打撃、ティー、ロングティーとひたすら打ち込んでいる姿に衝撃を受けた。

「ちょうど伊東勤監督の頃で、西武も勝てなくてもがいていた時期だったと思います。プロの選手でもこんなに時間をかけて打ち込みをやるのかと思いました。その年の冬から練習のスタイルがガラリと変わりましたね」

 ちなみに、大隅半島の太平洋岸に位置する志布志からだと、公式戦がある鹿児島市や姶良市まではバスを使って約2時間かかる。この長時間の移動にかかるコンディション的、金銭的負担をどう克服するかは、尚志館に限らず大隅半島の学校が抱える地域的ハンディーのひとつである。その反面、プロや社会人野球のキャンプがある宮崎は比較的近い。そのため、鮎川監督はその後も毎年、秋季と春季キャンプの時期には、日時を決めて見に行くようにした。そこで吸収したものが、今の尚志館が目指す「打ち勝つ」野球の原点となったのだ。

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起死回生のホームラン

 その成果が結果となって表れたのは、12年秋の鹿児島大会だ。尚志館は、シード鹿児島実を皮切りに、鹿児島城西神村学園と薩摩半島の強豪私学に勝って、11季ぶり2回目の九州大会を勝ち取った。それぞれ厳しい戦いを勝ち抜いたが、最も苦戦したのは鹿児島実戦直後の4回戦・鹿屋戦(2012年10月02日)だった。

 先制点を許し、3回まで3-5の2点ビハインド。6回に同点に追いついたが「延長戦になったら、サヨナラで負けていたかもしれない」(鮎川監督)劣勢の展開だった。

 その流れを振り払ったのが9回表に中村春葵(2年)が放った3ランだった。

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 一死一二塁で中村に打席が回る。
 「お前が決めてこい!」「俺が決めてやる!」

 次打者席で、新原晃太主将(2年)とそんな会話を交わした。カウント2ボール2ストライクからの5球目。内角低めの難しい直球だったが、思い切り振り抜いた。当たった瞬間の手応えはなく、次打者席の新原も「レフトフライか」と思ったが、打球はグングン伸びて左翼席に消える起死回生の3ランになった。鮎川監督の目指す「フルスイングで打ち勝つ野球」が結実してつかんだ勝利だった。

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試練を乗り越えて

 昨秋、そこまでの結果を残した尚志館だったが、11年秋から12年夏まで、現2年生が1年生だった頃からの1年間は結果が出せずに苦しんでいた現状もある。秋は同郷の県立校・志布志に3回戦で0-10の5回コールド負け、春も同じく3回戦で鹿児島に3-10で7回コールド負けだった。夏は大島を相手に8回まで2-0とリードしながら、その裏3点を奪われて、逆転負け。大会3日目にして早々と姿を消した。

▲尚志館 試合風景

 3年生が6人しかいないチームだったが、力はあると思われていた2年生も持っている力を発揮できなかった。「高校野球を1年やった上級生中心チームとの力の差を感じました」(鮎川監督)。尚志館の練習場には「HOLD ON TO YOUR DREAM~尚志館の逆襲」の横断幕が掲げてある。現3年生が新チームになった頃、掲げたチームスローガンだったが、「逆襲」は結果で果たせないまま、その想いは新チームに引き継がれた。

 しかし、心機一転して新チームをスタートさせた矢先、今度は部員の不祥事が発覚する。鮎川監督はすぐさま事態を高野連に報告し、判断を仰ぐと同時に、8月の大隅地区大会の出場辞退と1カ月間対外試合自粛を決めた。

 8月上旬に高野連から下された正式処分は「厳重注意」で、公式戦に出ることも、対外試合を組むことも差し支えはなかった。だが鮎川監督は「あってはならないことが起こった以上、何らかのけじめをつけなければいけない」と自らのチームに試練を課した。

 夏休み期間の8月は本来なら関西遠征を組み、県外の甲子園経験校などと試合を組みながら、実戦経験を積む。夏の甲子園を実際に見学することでモチベーションを高めて、春センバツへのスタートとなる秋の県大会のシード権を取る地区大会に臨む。この流れを全て止めることはチームにとって大きな痛手だった。だが「目標は甲子園でも、目的はあくまで人間形成」というぶれない指導方針を鮎川は貫いた。

練習風景 ロープ登り

 8月の1カ月間は、ひたすら学校のグラウンドで練習三昧の日々だった。関西遠征に出掛ける予定だった8月6日―12日の間は、2年生全員が学校の寮に宿泊して合宿を組んだ。

 朝6時に起床。寮周辺の清掃作業から始まって、午前9時から午後5時まで、ひたすら練習に明け暮れた。「正直、野球を辞めたいと思ったこともあった」とエース吉國拓哉(2年)は言う。肉体的なきつさ以上に「試合ができない」精神的なきつさがこたえた。「やっていることが本当に試合につながるのだろうかという不安がありました」と新原主将。他校と対外試合をすれば、勝っても負けても、自分たちの何が通用して、通用しないのかが分かる。その目安が全く作れないまま、練習だけを繰り返した1カ月だった。

 鹿屋戦で中村が起死回生の3ランを放って「夏の練習で紅白戦をやったときのことを思い出しました」と西井田和明副部長は言う。対外試合ができなかった夏休み、紅白戦を繰り返していた頃、劣勢の試合を中村が逆転サヨナラホームランでひっくり返したことがあった。「あの苦しい日々が無駄じゃなかった」ことを実感できた瞬間だった。

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「甲子園で勝つ」を目指して

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 九州大会では佐賀北長崎日大と県1位校に競り勝ち、4強入りを果たした。センバツ出場を大きく手繰り寄せたかに思われたが、準決勝では前述のように済々黌(熊本)に0-8の7回コールド負けだった。(2012年11月01日

 九州大会から帰ってからの練習は「甲子園で勝つ野球」(新原)に目標が変わった。実際のところ、1月25日の選考会で選ばれるという確実な保証はどこにもない。選ばれないことも十分考えられる。しかし、「こちらができることは全てやり切った」(鮎川監督)以上、あとは出場できることを信じて、全国で通用する野球を身につけるべく、鍛錬に励む以外の道はない。

 準優勝して九州大会を決めた頃、鮎川監督は「もう『逆襲』のスローガンはいいんじゃないか?」とナインに提案したが、新原主将たちは「逆襲」の看板を降ろさなかった。済々黌に完敗したことで、新たなる「逆襲」の気持ちが芽生えた。甲子園で尚志館の逆襲を示すべく、ナインは黙々とバットを振り続けている。

(文=政純一郎

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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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