広陵高等学校(広島)
グラウンドは凍えきっていた。広島市内中心部からアストラムラインで約30分。伴(とも)駅から10分ほど歩いた丘の中腹に、春22回、夏20回の甲子園出場を誇る広島広陵高校は位置している。
朝の気温は氷点下に近く、市内中心部より3度は低い。グラウンドには霜が降りていて、すぐには使えない。取材日の2011年12月26日は雪もうっすらと積もっていた。
広陵の冬合宿とは?
“午前中はランメニューが中心になる”
「広島広陵の冬合宿は本当に厳しい」
卒業生、また練習を覗き込んだことのある関係者は口を揃える。
全寮制である広島広陵高野球部の冬合宿は長く、例年、冬休みがスタートする12月下旬から練習試合解禁となる3月上旬まで行われる。この冬合宿の時期は、シーズン中よりもランニングメニューが増え、基本の反復練習もハードな量をこなすこととなる。
今年の場合は、12月22日から3月10日までの約2ヶ月半。冬休みや土日の一日練習ができる場合は、午前8時30分を回ったころからグラウンドに選手が集まり始める。
ここで、とある一日の練習メニューを紹介しよう。
9時…練習開始、メンタルトレーニング10分
9時10分~12時…ランニング、体幹、ウエイトなど4班に分かれて体力強化メニュー
12時~13時15分…食事休憩
13時15分~18時30分…野球メニュー
キャッチボール30分(1対1、ランニングしながら行うなど)
守備練習(シートノック中心)
打撃練習(ティー打撃中心)
(投手はシャドーピッチング、投球練習、ランニング)
最後にランニング約40分(ダッシュ系)
※水曜日はボールを扱わない。ランニングと体力強化メニューが中心。
今年は、この翌日12月27日に、学校から[stadium]マツダスタジアム[/stadium]の往復35キロを走った。走るのが苦手な選手もいるが、ペース関係なく、苦難を乗り終えて完走することをトレーニングの一番の目的としている。
「勝ち進めば、この球場で試合をすることになる。『必ずこの球場に来るんだ![stadium]マツダスタジアム[/stadium]で勝ってから甲子園に行くんだ』という夏への気持ちを大切にしてほしかった」(中井哲之監督)。
伝統がチームを強くする
投手陣は坂道を利用したダッシュ練習。
ランニングメニューが1日中組まれている
また、広島広陵の冬合宿でのダッシュメニューは、誰もが「しんどい」「つらい」と答える名物種目。毎年、冬合宿の最後を飾るメニューでもある。
ホームベース→レフトポール→ライトポール→ホームベースと三角形を描き、45秒以内で戻ってくるコースは、距離にして250~300メートルほど。
足の速い選手のペースで40秒を切る。そのため、中距離走が苦手な選手にとっては、厳しい時間設定だ。さらに、このメニューは最初から本数が決められているわけではなく、中井監督やコーチのさじ加減で決められている。
「ラストが決められていない分、選手にとっては厳しいと思う。でも、終わった後にやり遂げたものがあるはずです」(中井監督)
また、自分だけが45秒以内にゴールをすればいいわけではなく、全員が時間内に走り切らないと終わることが出来ないため、学年関係なく、全員で互いに鼓舞、激励し合う。この日も、終わってみれば、1人15本以上のダッシュをこなしていた。
「全員で走ることが大事です。その時に、選手全員の心が1つになります」。そう中井惇一主将は話す。
“中井哲之監督”
「いいと思った練習をOBが持ってきてくれる。それも広島広陵の伝統の1つです」と中井監督は胸を張る。OBたちもまた、後輩の練習に顔を出すのを楽しみにしている。高西は、「広島広陵は卒業した後でもつながっている。卒業後もこのグラウンドに来ることを楽しみにしています」と目を輝かせていた。現役、OB、監督やコーチ、父兄などとの絆が、広島広陵の練習の中身をいっそう濃い内容にしている。
[page_break:冬の練習姿勢で決まる夏のメンバー]冬の練習姿勢で決まる夏のメンバー
“中井惇一主将(左)と松村遼投手”
広島広陵の場合、この冬練習の態度で、夏にベンチ入りできるかどうかが決まるといっても過言ではない。練習に対する「熱意」「真剣さ」をお互いに感じ取るのだ。
さらに、広島広陵には、夏の大会のベンチ入りメンバーを決める上で「選手推薦枠」というものが存在する。主将、副将、マネージャー、3年生でベンチに入れなかったメンバーで投票して、選ばれる選手が1人いる。
「その投票で監督やコーチでも気づかなかったことがある。中には、選手推薦枠で選ばれた選手がレギュラーになったこともあるんです」(中井監督)
例を挙げれば、2010年だ。その年はエース有原航平(現・早大)を擁して、春夏連続で甲子園出場を決めた。特にセンバツではベスト4に進出するなど、大きな結果を残した。
その世代で“投票選出”されたのが、渕上真内野手(現・大商大)である。センバツではベンチ入りさえできなかった。冬から春、夏と練習を懸命にこなして大きく成長し、夏の広島大会で、ついにショートのレギュラーを勝ち取った。甲子園でもスタメンで出場。
「この選手は誰よりも練習を積んできたという証明です。監督やコーチの前で、いいところを見せてもダメ。普段から、監督がいないところでも一生懸命していないと勝ち取れない」。そう中井監督は、この制度のプラス部分を強調する。
実際、2年秋まで活躍していた主力選手が、練習を真剣に取り組まなかったためにレギュラーやベンチ入りの座を奪われた選手もいた。レギュラー獲得やベンチ入りをアピールするために、冬合宿での手抜きは許されない。
優勝旗奪還のための新たな模索
広陵高校グラウンド周辺には卒業生らの石碑が並ぶ。
「毎年、(冬合宿で)やっていることに大きな変化はない」と中井監督は言う。しかし、2010年秋から昨秋までの4季続けて、広島広陵は広島大会で優勝することができなかった。
「4季連続で勝てなかった以上、何かを変えていく必要があると思いました」と中井主将は部員たちだけでの話し合いを開き、練習内容にも工夫を施(ほどこ)した。
その一つが、ウエイトトレーニングの実施だ。
校内にウエイトルームがあるものの、『体力は野球の練習でつける』というのが広島広陵野球部の方針だった。しかし、新チームになった昨秋の広島大会では、まさかの2回戦敗退となった。(2011年 秋季広島県大会)
「この世代のチームは体の小さな選手がたくさんいます。少しでも体を大きくしたいのでウエイトを練習メニューに採り入れることにしました」(中井主将)
また、練習開始すぐに行なっていたイメージトレーニングは、この冬から取り入れたものだ。朝9時の練習開始と同時に、選手たちは目をつぶって、イメージトレーニング用のテープを10分間聞き続ける。そこには「誰も負けない」「今日の目標は何か?」「必ず目標は達成できる」という言葉が何度も出てくる。自分に自信を持ち、どんな困難にも打ち勝つ。それは強い気持ちを持って練習に取り組む姿勢を示すものだ。また、練習終了の際にも約5分間、テープが流される。これは、復習の意味合いが強い。
[page_break:選手同士で技術を伝承]選手同士で技術を伝承
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現在、部員87人全員が寮生活を送っている。中井主将は、「練習が終わった後も選手同士でいろんな話をします。野球以外の話もしますが、時には真剣になって練習内容などの話もします」と語る。 練習メニューも選手側から自主的に持ち出すこともある。そのメニューを中井監督やコーチが確認の上で練習を実施する。その話し合いから生まれた練習方法や技術の話は、広島広陵伝統の一端と言えるだろう。
一つ例を挙げれば「スライダー」である。 広島広陵高校投手陣には切れ味鋭いスライダーを投げる投手が多い。2010年春・夏に甲子園出場を果たしたときの3年生では、エース有原 航平が故障したとき、上野健太(現・近大)がスライダーを武器に勝ち抜いた。中井監督は、「投げるフォームが悪いときは選手に話すけど、僕は球種を教えないですよ。生徒同士で研究しています」と語る。選手同士の話を元にして、研究を重ねてキャッチボールやブルペンで試すのだ。
秋には背番号「1」を背負った松村遼投手は、「いろんな話から、ためになることが多くあります」と話す。スライダーでも強くスピンをかけるように投げる投手もいれば、縫い目だけを利用してカットボールのように投げる投手もいるそうだ。
エースの松村は、この冬合宿について、「1年前に経験して厳しい練習であることは分かっている。乗り越えれば春・夏に結果を出せると思っています」と、選手全員の気持ちを代弁した。中井主将もまた、「気持ちではどこにも負けないチームになると思っています」と語気を強める。
「日本一・ありがとう」の文字がバックスクリーン右にいつも掲げられている。野球の環境を与えてくれた周囲への感謝を忘れずに、厳しい冬を乗り越えた結果、「日本一」の称号を目指せるチームになれる。広島広陵ナイン全員が、そう信じている。
(文・写真=中牟田 康)