県立東温高等学校(愛媛)
県立東温高等学校2011年08月31日
32年ぶりベスト4につながった「なるほど・ザ・ワールド」
創部以来32年ぶり2度目のベスト4に進出した東温
一見、普通の公立校と何ら変わらないグラウンドを訪ねてみると、そこには私たちがこれからの練習を進める上で大いに参考となるであろう「なるほど・ザ・ワールド」が展開していたのである。
[nophoto]
【目次】
1.名将たちからの教えを発展させる若き指揮官
2.ダイヤモンドの概念を外した「3箇所外野返球」、「4箇所盗塁練習」
3.毎週2回、60分の「体力トレーニング」がもたらすもの
4.「手の届く位置になった」甲子園を目指して
[/nophoto]
名将たちからの教えを発展させる若き指揮官
ノックを打つ和田健太郎監督
名将・上甲正典監督の下で3年間を過ごし、何もないところからセンバツ全国制覇、夏全国準優勝まで到達する原動力となった「地獄のような練習」を一番近い場所で携わった日々は、今でも貴重な経験値となって地となり、肉となっている。
その後一念発起して県立高教諭に転じ、時間講師として2005年4月に赴任した母校・西条高校。
ここではもう1つ大きな指導者との出会いがあった。
その人とは後に東温で再び出会うことになる八木俊博監督(現:上浮穴高校野球部部長)。
前年秋には四国大会準決勝で済美を破り、センバツに出場を果たした愛媛県内でも有数の知将である。
そこで学んだのは「人間育成という部分においては上甲先生と根っこの部分は同じだが、ボール回しやカットプレーでは多くの部員全員に対し、いかに効率的な野球をさせるかがよく考えられていた」野球。
これまでの3年間とは対極な野球スタイルを2年間コーチとして携わったことにより、監督の野球観は大きく広がることになったのだ。
4番・主将を務める光田一樹捕手(2年)
これは自分たちのウィークポイントを消し、相手に主導権を与えない上で大きな効果を発揮したのである。
その一方で打撃に関しては「フリーバッティングは春から10回以下です。その代わりティーバッティングではネットを打席の反対方向に立てて、逆方向を強く意識して打つようにしました」(新キャプテン・4番の光田一樹捕手・談)といった、工夫上手の八木監督のエッセンスを取り入れて練習を進めてきた東温。
これも14安打中半数がセンター返し、逆方向だった2回戦・南宇和戦(延長11回8対7で勝利)をはじめ、接戦を勝ち抜く原動力となったのだ。
そして東温には現スタイルの集大成といえる独特の練習が2つある。
1つ目は、この夏に3度の刺殺をマークし、先の中予地区新人戦でも見事に新田の走塁を刺した「毎日行っている」外野からのカットプレー練習。
もう1つは「足の遅い選手でも走れるようにするための」盗塁練習。
今回の取材ではその2つを実際に披露してくれるという。早速、グラウンドに散った選手たちの後を追った。
[nophoto]
【目次】
1.名将たちからの教えを発展させる若き指揮官
2.ダイヤモンドの概念を外した「3箇所外野返球」、「4箇所盗塁練習」
3.毎週2回、60分の「体力トレーニング」がもたらすもの
4.「手の届く位置になった」甲子園を目指して
ダイヤモンドの概念を外した「3箇所外野返球」、「4箇所盗塁練習」
ホームベースを3箇所作ってのカットプレー練習
「カットプレー!」
光田キャプテンから声がかかる。しかし、選手たちの散り方はいつものカットプレーにおける位置ではない。ライト線に向かって置かれたホームベースは3箇所。カットマンを務める内野手の位置も、外野手の位置もその一直線上に3箇所。言ってみればライト線に沿って直角に3本の線が引かれたような感じだ。
かくしていざ練習が始まると…内野手が外野方向へ外野フライに近い送球を投じ、外野手がキャッチ。するとカットマンが入り、捕手へバックホーム!そんな光景がなんと3箇所同時に始まったのである。
確かに普通カットプレーは打球方向によって入る選手が決まっているもの。「全員が短い時間で効果的に練習するにはこの方法が一番いい」と和田監督も語るように、捕手だけ移動を続ければ、単純計算で言えばシートノックを打つより3分の1の時間で練習を終えることができる。ダイヤモンドの概念を外した効果的な考え方に、筆者も「なるほど」と思わずひざを叩いてしまった。
ただ、ここで大事なのは回数と練習時の意識付けだ。「基本的なことを毎日積み重ねていることが、試合でも大きな効果が出ている」と光田も言うように、これは毎日習慣化しているからこそ効果があることを忘れてはならない。
では意識付けの部分ではどうか。夏の愛媛大会においては南宇和戦でチームをサヨナラ負けから救うライトからの好返球をはじめ、2刺殺を記録した富士本昇(2年)は、このように外野返球におけるポイントを話してくれた。
「練習ではカットマンに投げるようにはしていますが、あくまで意識はホームまで投げきる気持ちで。そして試合では1人で投げきるようにしています」。
概して試合になると遠くまで投げられるアドレナリンまでも計算に入れた練習意識。夏の大会、そして新人戦におけるホーム刺殺4回全てが直接バックホームによるものであることを見ても、その意識がチーム内で徹底されていることがうかがえる。
4箇所で投手をシャドーピッチさせての盗塁スタート練習
続いて行われた「1塁から2塁への盗塁練習」も、今までに見たことのない「なるほど」形式であった。マウンドに立ったのは利き手にタオルを持った投手4人。ランナーもダイヤモンドに各1人ずつの計4人。そしてホームベースの位置には上にベースが置かれ、全てを一塁ベースに見立てて、4方向に向いた投手のシャドーピッチに合わせてスタート、バックの練習が行われたのである。確かにこれならば投手のインナー強化、けん制練習も含め、様々な要素をいっぺんに学ぶことができる。
八木監督時代から「走るチーム」として県内では知られていた東温。
以前から俊足選手ばかりがそろっているわけではないにもかかわらず、個々の走塁意識の高さに疑問を持っていた筆者であったが、その裏にはこのようなトレーニングがあったのだ。例年に増して俊足選手が少ない今回の新チームであるが、「もっと意識を持って走れるチームにしたい」(光田)意欲をもってすれば、上達の日はさほど遠くないことだろう。
[nophoto]
【目次】
1.名将たちからの教えを発展させる若き指揮官
2.ダイヤモンドの概念を外した「3箇所外野返球」、「4箇所盗塁練習」
3.毎週2回、60分の「体力トレーニング」がもたらすもの
4.「手の届く位置になった」甲子園を目指して
[/nophoto]
毎週2回、60分の「体力トレーニング」がもたらすもの
その場にあるものを有効に活用したサーキットトレーニング
ここまでの練習メニューだけも画期的なものが多い東温であるが、もう1つ、県内他校と大きく異なる「なるほど」がある。それは「サーキット、体幹」などの総合トレーニングについて。普通はシーズンオフ、ないしはグラウンドが使えないときに集中して行うことが常の総合トレーニングであるが、東温ではシーズン中、シーズンオフ問わず一年を通じて週2回トレーナーを招き、全員がいっぺんに本格的な「総合トレーニング」を各1時間程度行っているのだ。
そんな彼らを指導するのは社会人野球の名門・JFE西日本をはじめ多くのスポーツチームにトレーナーを派遣しているSEB体育企画株式会社の四国エリア事業部マネジャーを務める高須賀潤トレーナー(40歳)である。
実は高須賀さんも東温から進んだ社会人・大和銀行(大阪府・現在は廃部)で7年間投手としてプレーした野球部OB。5年前、高校時代の恩師と八木監督とが知人だった縁から母校の指導を始めた高須賀さんだが、「僕の現役当時は社会人も金属バットで、低めに投げないと簡単にスタンドにもっていかれた」実体験も踏まえた「体の動かし方」の話は、より説得力と熱意をもって聴き手に伝わってくる。
もちろん、その熱意はトレーニング中においても十二分に発揮されている。取材日の練習でも全身の筋肉を万遍なくほぐし、その上で柔軟性を養う多彩なトレーニングを次々と課していく高須賀さん。しかしその中でも、「高校生活の中では練習時間よりも生活している時間が長い。だから正しく筋肉や体を動かすことをまずは意識させて、次に無意識にできるように」筋肉や体の動きを3D的に、かつ丁寧に説明する姿勢は「僕は入学時に肩甲骨が硬かったんですけど、それも柔らかくなったし、この夏は延長戦に入っても体が動くから精神的に疲れることもなくなった。効果はすごくあると思う」(副キャプテン・富士本)と、選手たちからも全幅の信頼を得るに至っている。
和田監督も「体を動かすことができているから、僕もそこに技術を落としこむことができる。本当にありがたいです」と語る週2回の貴重な時間。東温にとって、いまや高須賀さんの存在はチーム最大のストロングポイントと言っても過言ではないだろう。
[nophoto]
【目次】
1.名将たちからの教えを発展させる若き指揮官
2.ダイヤモンドの概念を外した「3箇所外野返球」、「4箇所盗塁練習」
3.毎週2回、60分の「体力トレーニング」がもたらすもの
4.「手の届く位置になった」甲子園を目指して
[/nophoto]
「手の届く位置になった」甲子園を目指して
全員でグラウンドへ一礼
1年生夏から試合出場を続け、この夏は4回全て2盗を刺すなど、ただの一度も盗塁を許さなかったキャプテン光田もその一人。「準決勝で敗れた(2対7)今治西、そして東予新人大会で負けた(延長11回・1対2×)新田と当たって差があると思ったのは、ここ一番の集中力。全体的な守備や足の部分といった技能以上にそれを感じました」と具体的なイメージをもって課題を述べる彼の表情は、これから立ち向かう壁の大きさを感じてか、より引き締まったものになっていた。
それでも彼らは歩みを止めることはない。彼らの目には「いつも手本を見せてくれる」(光田)和田監督、「監督の野球にあこがれて入学した」と光田、富士本が共に声をそろえた八木前監督、高須賀トレーナー、さらに準決勝では坊ちゃんスタジアムをいっぱいに埋めた生徒たちや地域の情熱が確かに宿っているからだ。そして「弱さを知るもの」が弱さを克服したとき。その先にはきっと手の届く位置になった甲子園があることだろう。
(文=寺下友徳)