創部105年目に「春が来た」! 新たな一歩に地元の期待も高まる 石岡一(茨城)【前編】
学校創立は1910(明治43)年、創部1914(大正3)年という歴史を誇る石岡一野球部。今春の第91回選抜高校野球大会に、21世紀枠代表校として選出されて、春夏通じて初めての甲子園出場を果たすこととなった。石岡市など街を上げて盛り上がる石岡一野球部を訪ねた。
地域に根差したチームが聖地へ向かう
バッティング練習の様子
JR上野駅から常磐線の特急で1時間弱。土浦を過ぎると次の停車駅の石岡駅に到着する。駅を出ると、すぐに見えるところの小高い丘の上に茨城県立石岡第一高校がある。
全日制普通科6クラス特進科2クラスとともに、園芸科と造園科も1クラスずつ併設している。前身が農学校だったという背景もあって、学校は広大な敷地を有しており、野球部も校舎に隣接して専用球場を確保している。さらには、そのグラウンド横にはトレーニングルームなどもある。
昨秋の県大会は県大会初戦で水戸工に完封勝ちすると、明秀日立、土浦日大など甲子園出場実績のある強豪を下してベスト4に進出。準決勝では藤代に延長13回タイブレークの末に4対5で敗退。惜しくも関東大会進出を逃した。
しかし、その戦いぶりや過去の実績なども評価されて、同校としては2度目の21世紀枠代表候補として県の推薦校となった。
さらに、話題性のあった佐倉(千葉)や横浜商(神奈川)などを抑えて関東地区の推薦校にもなった。そうして9校が残った全国でも評価されて、晴れて21世紀枠代表を勝ち取ることが出来たのだ。
茨城県勢としても、初の21世紀枠としての代表校となった。
「私立校が優勢と言われている今日の高校野球にあって、普通の公立校に集まった生徒たちだけで戦って甲子園へ出場することに価値がある」
常々、そういう信念で指導を続けてきた川井政平監督にとっても、指揮官として初めての甲子園出場となった。選手たちも、ほとんどが県南の地元の中学の出身者である。
江戸崎ボーイズやつくば中央シニアなど、中学時代に硬式野球クラブを経験してきている選手もいることはいるが、大半は中学の部活としての野球部に所属していた。まさに、地場に根差した高校野球部なのである。
現在取り組む課題
ベンチ前の選手たち
そんなチームだから、街を挙げての応援体制も盛り上がっている。
石岡市は旧八郷町と平成の大合併で人口8万人弱の都市となった。地域の人たちも地元からの甲子園出場を祝福しており、石岡駅には至るところに応援や祝福の横断幕や幟が溢れている。選手たちは、その期待に応えるべく、これまでに増して気持ちを込めて練習に励んでいる。
2月26日、折しも、茨城県庁への出場挨拶の儀式があった。それを終えて帰ってきた酒井淳志主将は、「いよいよだなっていう感じが高まってきました。(県庁への挨拶は)緊張しましたけれども、気持ちも新たになりました」と、開幕まで1カ月を切った中での緊張感と意識の盛り上がりを味わっている。
主将としては、「周りが思い切ってプレーできるような環境づくりを目指して、チームで信頼し合えることを目標としてきました」と言う。秋季大会を通じてチーム自体に関しては、「投手の岩本大地を中心として、守備でリズムを作ることは出来ました」と感じていた。
酒井 淳志 主将
しかし課題としては、「もっと野手の援護も必要だと感じた」というのも実感である。そのために、チームとしては「高めの球の打ち方、タイミングの取り方を課題として取り組んでいる」と言う。
下級生ながら県大会では4番打者を任された飯岡大政君は、「4番としての勝負強さは、少しですが出来たと思います」と自信は示した。とはいうものの、「準決勝では、タイムリーは打てたものの、その後の苦しい場面で一本が出せなかった」と反省。
さらには、自身の守りのミスで試合を落としたということもあって、悔しさは一入でもあった。だから、秋季大会には個人的には満足はしていないという。
「緊張が続く長い試合の中で、ミスをしないという精神力と集中力をつけるための練習をやって、普段の練習から自分にプレッシャーをかけるようにしています」
と、精神的な部分も強化に努めている。打撃面でも、ここ一番での勝負強さを磨き、逆方向へ強い当たりを打てるようにしていくという課題に取り組んでいる。
前編ここまで!後編では守備力強化に取り組む理由や秋季大会について振り返ってもらいました。
(文・手束仁)
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