県立四日市工業高等学校(三重)【前編】
今回のセンバツ1回戦で昨秋明治神宮大会王者・高松商(香川)相手に鍛え上げられた走攻守を出しきり、延長10回の素晴らしい試合を繰り広げた県立いなべ総合学園(三重)。その野球を形作った尾崎 英也監督のルーツをたどる上で「三重県立四日市工業高等学校」の名を欠かすことはできない。では、その当時から引き継がれる四日市工「改革」の気風とは?現在も随所にみられる斬新な練習法も紹介しつつ、集大成の夏へ向かう彼らを追った。
四日市工のシンボライズ的な存在になっている野球部の気風とは
日本有数の重工業区域・四日市コンビナートの中心地区として知られる四日市市に位置する三重県立四日市工業高等学校。地域工業人を輩出するべく、就職に力を入れている学校であり、今年の卒業生も前年11月の段階で就職希望生徒全員の就職がすでに内定。三重県内中学生からも高い人気を博している。
1999年明治神宮大会優勝時の記念石碑(県立四日市工業高等学校)
そんな同校のシンボライズ的存在となっているのが野球部だ。これまで春夏甲子園出場3回ずつ。1991年夏の甲子園では左腕・井手元 健一朗投手(元中日ドラゴンズ・西武ライオンズ)を擁し甲子園初勝利をに果たしている。また、埼玉西武ライオンズ・東北楽天ゴールデンイーグルスで長らく中継ぎ左腕を務めた星野 智樹も同校野球部OB。
さらに1999年11月の明治神宮大会高校の部決勝では、世代を代表する左腕、敦賀気比の内海 哲也(読売ジャイアンツ)を打ち崩して初優勝を果たした。ちなみに当時の監督は現在はいなべ総合を率いる尾崎 英也監督。明治神宮大会優勝時の主将は後に健大高崎(群馬)の「機動破壊」を作り上げた理論派コーチ・葛原 毅氏である。
そんな伝統を持つ野球部に息づくのは「改革」の気風である。明治神宮大会優勝当時のチームは流行していたシンクロ打法を採用。その他にも外部の専門的な考え、練習法、テクニカル的なモノを積極的に取り入れる。その流れは昨夏三重大会4強の壁を破るべく始まった新チームも引き継がれていた。
「レベルスイング」の常識を改める
四日市工が考えるレベルスイング
昨秋は四日市地区の一次予選・二次予選で敗戦。後がない三次予選を戦い抜いて、三重県大会に進んだ四日市工。県大会では2回戦で菰野に1対2で惜敗。スタート直後の戦いからすれば、非常に手応えのある結果で終われた反面、小野 日出士監督には課題がはっきり見えていた。
選手たちが「小野先生の守備の教えは本当に細かくて、分かりやすいです」と語るほど投手力の育成や走塁・守備の成長度には自信を持っている一方、個々の打撃力の成長はまだまだ。そこで指揮官は素振りを「型をつかむ練習」、ボールを打つことを「コツをつかむ練習」と定義づけ。その上でスピードガンなど計測器を使い、スイングスピードを毎年測って成長を促す方法を採用する。
その指導過程の中で小野監督には1つの疑問符が浮かぶ。「成長は実感していても、それが実際の公式戦に結びついているのか?」特に気になったのはスイング軌道である。
野球界における打撃の黄金則。「上から叩く。レベルスイングでスイングする。脇を締めろ」。こんな指導を球児の皆さんは数限りなく受けているのではないだろうか。ただ、小野監督はその教えにあえて反論するところから検証をはじめた。
「選手たちにはホームランを打った瞬間の打者の切り抜きをしてノートにスクラップしてもらい『この打撃フォームについて、どう思う?』ということを私は問いています。見る限り脇は空いているし、ホームランを打っている打者はアッパー気味。これはどういうことなのかを検証したんです」
そこで気付いたのは「レベルスイング」の考えだ。レベルスイングは普通、地面に合わせて水平な軌道で振ることをイメージするが、小野監督はホームランの写真を照らし合わせながら1つの仮説を立てる。
「レベルスイングとは地面に合わせて水平に振るのではなく、ボールのラインに合わせて振っていくことがレベルではないか」。伝統の「改革」の気風がレベルスイングの常識を改めることにつながった。
前編では四日市工の歴史や、打撃改革のきっかけについて紹介しました。後編では四日市工が実践する打撃ドリルや、新たに始めた打撃の取り組みに迫ります。
(取材・文/河嶋 宗一)
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