手束仁の 都立片倉高校野球部岐阜県遠征同行日記 ~第二日目~
長良川スポーツセンター研修プラザのお弁当を食べる
8月3日(土)
遠征2日目の相手は岐阜城北だ。場所は城北というくらいで岐阜城のある金華山を越えたところで宿泊先から比較的近い場所である。選手たちは、朝6時前後に起床して、三々五々散歩をして体を覚ます。そして、朝7時の朝食に集まった。
朝食の会場が、時間の都合でいくつのもチームが重なってしまった関係で、施設の都合で2カ所に分かれることになってしまった。ちょっと「えっ?」という感じになったものの、選手は臨機応変に対応。
ちょっと「えっ?」という感じになったものの、選手は臨機応変に対応。47人の人間が、乱れず行動出来て、すぐ次の対応が出来るかどうかというのは、やはり大変なことだ。こうした中で団体行動を学んでいくことも遠征合宿のもう一つの意義でもあるのだなということも感じていた。責任教師として今回の遠征合宿の宿泊関係や昼の弁当の手配などを行っていた増田直樹部長も、「これだけの生徒が、混乱もなく次の行動へ移れることは、当たり前の大事なことなのだけれども、実は結構大変なことなんですよ」と言っていた。
部活動としても、こうした一つひとつもチーム力を高めていくことにつながっていくだけではない。部活動で学ぶ要素の一つとしても大事なことなのではないだろうか。
出発は8時。岐阜城北は、83年に創立した岐阜三田が岐阜藍川を吸収統合する形で、04年に新しく出来た学校だ。原則的に、校舎は岐阜三田だったものを使用しているのだが、野球部のグラウンドは使い勝手もあって岐阜藍川のモノを使用している。だから、正式には「岐阜城北藍川グラウンド」という言い方をしている。甲子園へは岐阜三田時代に2度、岐阜城北になってからも06年春に出場している。その年は、一関学院、智弁和歌山、神港学園を下してベスト4にしている。プロ野球選手としても、中日の伊藤準規投手などを輩出している。県内では、実績のある強豪校の一つと言っていいだろう。
岐阜城北・鷲見君
岐阜城北 001 000 400=5
片倉 001 002 100=4
片倉 024 030 000=9
岐阜城北 222 000 100=7
片倉は、夏も背番号1をつけていた長島君がこの遠征で初めて投げたが、予定通りの5イニングを1失点で抑えてまずまずの仕上がりぶりだ。1~3回まで毎回先頭打者を出してしまっていたが、要所は抑える投球だった。試合としては、2番手として登板した矢ケ崎君が7回に四死球で乱れて最後、左腕馬場君のリリーフを仰ぐことになった。
スピードのある矢ケ崎君は、それが魅力なので多少の制球の乱れは目をつぶるとしても、それが続いてしまうところに、宮本監督としても、次の成長への課題としていた。馬場君は、左腕独特のカーブが武器で、前日同様ここというところで抑えられていた。岐阜城北の鹿野浩史監督は、「こういう競り合った形で、緊迫感のある試合が出来たということはいいこと。ウチとしては、9回に一打同点かという場面で抑えることが出来たのは、よかったと思います」と、この試合を投げた坂君、山本君の投手に関しては、合格点を出していた。内外野の守りも、そんなに穴がなく、岐阜城北は1週間後となっている地区ブロック予選へ向けては、順調のようだ。
2試合目は、前半はいくらか乱戦気味になってしまったが、中盤片倉は一塁手からリリーフした鈴木大地君が試合を作り直した。岐阜城北も、5人の投手を起用したが、最後を締めた鷲見君の気合いの投球が光った。
この日は、長良川の花火大会の日でもある。
せっかくだから、日本三大花火大会の一つと言われている長良川花火大会を鑑賞しようというイベントも組まれていた。といっても、宿舎の敷地を出ることなくロビーから少し出て階段のところに陣取れば、フルサイズで花火が楽しめるという好ロケーションなので、皆がそこに座って見ていた。
スケジュールもそれに合わせて進行して、16時半に宿舎に戻ると、18時半の夕食までに、各自が入浴と洗濯などをすませた。そして食後、19時10分から次々に打ち上げられる花火を満喫した。
そして、花火の余韻もそこそこに、21時からはミーティング。ボクも、翌日の相手となる県岐阜商の歴史などを少し、お話させていただいた。そして、「県岐商のような伝統校と試合をすることで、それぞれが、何かを感じて掴んで欲しい」というようなことを伝えさせてもらった。
(文・写真=手束仁)