バッテリーになった瞬間
第7回 バッテリーになった瞬間 2010年09月17日
左:宍戸 右:山岸
終わってみて、思うことがある。
もがき苦しんだ先に光があったな、と。
最後の夏の最後の試合で「バッテリー」になったピッチャーとキャッチャーがいた。
福島県を代表する進学校・福島福島高の山岸謙一と宍戸佑斗。
高校野球最後の1年、バッテリー間の18.44メートルは2人に試練を与え続けた。
7月13日、福島福島高は2回戦で小高工に7-8で敗れた。6-6のまま延長に突入。10回表、小高工が2点を奪った。その裏、福島福島高は1点を返したが、同点には追いつけず、万事休した。
悔しさいっぱいの中、山岸は新聞各社の取材を受けていた。試合後、まだまともに話せていない相棒を、宍戸はニコニコしながら見つめている。
「みんなで甲子園に行きたかった。誰一人として諦めていなかったと思う。でも、チャンスあり、ピンチありで楽しかった。久しぶりに野球が楽しいと思いました」
やりきった。そんな感じの清々しさで宍戸は試合後の感想を述べた。
6月も終わりに差し掛かった頃、福島福島高の昇降口の前では野球応援の練習が賑やかに行われていた。
その横の、決して大きいとは言えないグラウンドでラグビー部、ハンドボール部、そして野球部が混同して練習していた。
山岸は清水中時代、学校の軟式野球部に所属しながら「福島のだまクラブ」という福島市内の中学生が集まったクラブチームで活動していた。
清水中では、3年時の県大会出場が精一杯。それも1回戦敗退という結果だったが、「県大会に出られただけでも素晴らしい成績」というレベルだった。
しかし、「福島のだまクラブ」は福島市内の中学校の主力選手の集まりで力があった。
3年の夏、千葉で開催された「第4回中学生軟式野球世界大会」で優勝。山岸は背番号1を背負い、世界一になった。
その後、中国で開催された「第7回パン・パシフィック中学生軟式野球大会」では準優勝に輝いた。
そのときのチームメートは聖光学院や福島福島商などに進学。そんな中、山岸は「もう1回人生があるなら私立に行っていたと思う。けど、中学から大学野球への憧れがあって、進学したかった」と進学校の福島を選んだ。
1年春から登板。2年春の県大会では1回戦の小高工戦で完封。2回戦の郡山東戦では完投。夏は背番号1をもらったが、「調子がよくなかった。知らない間に終わっちゃったという感じでした」。
2年生の時は1つ上の先輩捕手が受けてくれた。「橋本さんという人で、配球が上手かったです。頼りっぱなしでした」。夏の敗戦と共に信頼の置けるキャッチャーとバッテリーを解散せざるを得なかった。そして、バッテリーを組んだのが宍戸。
しかし――。合わない。
先輩捕手と、中学の時にバッテリーを組んでいたキャッチャーが山岸の中で理想になっていた。
中学でバッテリーを組んでいた酒井賢太君は学法福島高に進み、サッカー部に入った。
それでも、2週間に1度は会い、いろいろとアドバイスをもらった。「相変わらずクソだな。肘、下がっているわ」なんて言われても、素直に受け入れられた。
おまけに夏までのチームの残像が邪魔をしていた。「先輩とやっていたレベルの守備やバッティングに比べ、ゴロを捕れないし、打てないし」。イライラが本来の力を阻んだ。だが、終わってみると「自分のせいで負けた」ということに気付いた。一人で野球をやっていた、と。
冬。「試合を壊した分、苦しまないといけない」(山岸)。ラントレーニングにウエイトトレーニングで徹底的に鍛えた。そうして春を迎えると、球速が増し、ボールのキレも出てきた。秋からの成長を感じた山岸だが、問題が発生した。宍戸が捕球できない。「捕ってくれない意味がわからない。態度に表れて…。バッティングで勝つチームじゃない。守備からのリズムが大切なチーム。ピッチャーとキャッチャーがチームの雰囲気をガタガタにしていました」。練習でも、学校でもしゃべることがなくなった。「同じクラスなんですけど、反対方向を向いていました」(山岸)。「秋と全然違うボールになっていました」(宍戸)。試合になれば組まざるを得ないバッテリー。
とうとう、大河内孝志監督がシビレを切らした。
「守備を固めていかなきゃいけないのに、バッテリーがそれじゃおかしいだろ」
今のままじゃダメだとわかっていても、お互い、どうしていいかわからない。そんな時に言われた監督の言葉で吹っ切れた。「練習試合で、少しでもピンチを乗り越えると信頼って言葉をかみ締めるようになりました」(山岸)。学校でも練習でもしっかり話すようになった。
そして、組み合わせも決まった6月下旬。大きな溝を埋めつつあったバッテリーは投球練習をしていた。
「調子は上がってきていますね。僕が捕れれば完璧です。夏は絶対に後ろに逸らしません。秋も春も、自分が未熟なせいで負けた。夏は全てをかけて甲子園に行きます」と宍戸。
その横で宍戸に対してごちゃごちゃ言っている山岸。「ぎゃふんと言わせたいですね、このピッチャーを」(宍戸)。その言葉が、2人の間に出来た信頼度を表していた。
対してごちゃごちゃ言っていた山岸は「負けた時の『どうせ、進学校』っていう雰囲気が嫌いなんですよ。最初からそう見られるのが嫌い。目標は甲子園優勝です」。そう思っていても、口に出せる正直さに脱帽である。
「調子が悪いなりに投げたと思う。高めのストレートを打たれたけど、いざというところは決めてくれた。あとはみんなで守りました」(宍戸)。
そして、7月13日、2回戦の小高工戦。結果は先に述べた通りである。9番の宍戸はこの試合、3打数2安打1打点2得点の活躍を見せた。1打点は、10回裏に1点差に迫る犠飛だった。
1回戦の後、「僕が打つと盛り上がるので、打って盛り上げて勝ちたい」と話していた宍戸。勝利はならなかったが、しっかり打って見せた。
高校野球の終わりを迎えたばかりの山岸は「何も考えらない状態です。負けたことが悔しすぎて、しゃあないです」と唇をかんだ。
だが、ちょっと間を置くと、山岸は話し出した。
「仲良くなるんじゃなくて、競い合って頂点を目指す。力が最高になったと認めあえて、バッテリーだと思うんです。(宍戸は)今日も盗塁を刺してくれたし、上手くなった。ここにきて、バッテリーになれました」。
山岸も宍戸も「バッテリー」になろうとした。時間はかかったし、「バッテリーになれた」と実感したのは、負けた試合の後だったけど、そこまでの時間は無駄ではなかったはず。
なあなあな関係では本当の「バッテリー」にはなれないと解っていたから、本気でぶつかりあって、揺るがない「バッテリー」になろうとした。その事実は永遠に消えることはない。
(文=高橋 昌江)
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