1つの『転』機となった2019年東京都の高校野球 今年を表す漢字は『転』しかない!
東京都の高校野球を漢字一文字で表すなら、私は「転」ではないかと思う。
神宮第二球場時代が終わり、時代の節目
神宮第二ラストゲームの指揮を執った帝京・前田三夫監督と日大三・小倉全由監督
春季都大会が開幕した4月1日、新元号の「令和」が発表された。
元号が変わり、夏の高校野球も第101回。新時代の空気が漂っていた。
創価は5月から髪形を自由にした。その理由について片桐哲郎監督は、「元号も令和の時代になったことですし、自覚を持たせる意味からも踏み切りました」と語る。
気持ちを新たにというのは、創価に限ったことではない。そうした時代の転換点であることを最も感じたのは、[stadium]神宮第二[/stadium]球場時代の終焉であろう。
1961年に完成して以来、[stadium]神宮第二[/stadium]球場は東京の高校野球の主要球場であり、春、秋の都大会では大会本部になっていた。
秋季都大会の準々決勝の帝京・日大三の試合を最後に、この球場での試合を観ることができなくなったこと対して、一つの時代が終わる寂しさを感じた人も多かったはずだ。
その一方で、都営球場にしてはあまりに小規模であった[stadium]駒沢球場[/stadium]がリニューアルし、約3000人を収容できるようになった。来年は試合数も増えるだろう。
ただ気になるのは、鳴り物の応援が禁止されていることだ。近隣への配慮も理解できるが、今ではブラバン応援も高校野球の一部になっている。鳴り物を使用できる時間を決めるなどして、緩める余地はないのだろうか。
新時代の予感
夏を沸かせた赤坂諒(上野学園)
この夏は不順な天候に泣かされ、東京実のように、八王子市で試合をした翌日は江戸川区で試合といったように、都内を転々としなければならないケースもあった。
また東京の高校野球では、準決勝と決勝を除き試合が2日連続にならないよう日程に配慮していたが、雨天中止が相次いだため、3日連続で試合をするチームもあった。
そうした中で上野学園の赤坂諒は3日間続けて登板し、150キロ近い速球を投げ、一躍注目の存在になった。
都立小山台のエース・安居院勇源はこの夏の東東京大会で、決勝戦までの6試合を1人で投げ切った。
来年からは、1週間で500球以内という投球数制限が実施されるため、こうした投手は見ることができなくなる。
高校野球でも以前から、複数の投手を持つチームは増えているが、背番号1への信仰が強く、二桁の背番号の投手が投げると、スタンドからは「なめているのか?」という声を今でも聞くことがある。そうした意識も転換する時に来ている。
この夏、上野学園は2年ぶりに準々決勝に進出した。やはり2年前の夏に初の8強入りを果たした共栄学園は、この秋も準々決勝に進出。女子校から21位世紀に入って共学化した両校が、東京の強豪校として定着しつつあることが、印象付けられた。
夏の甲子園に西東京代表で出場を果たした國學院久我山
一方、国学院久我山が28年ぶりに西東京大会で優勝。尾崎直輝監督が、東京では甲子園に行く初の平成生まれの監督になった。これが他の若手の指導者にも刺激を与え、新時代への転換点になるのか、それとも、一過性で終わるのか、来年以降が注目される。
それから余談で、私事であるが、春季都大会の取材中、転倒して右手首を骨折。人生初の手術と入院を経験した。この「転」は気を付けないといけない。
それはともかく、オリンピックが開催される来年に向けて、東京は変わっていくし、その影響を高校野球も受けることになる。来年に向けても時代の転換点であることに変わりはない。
起承転結と言うが、転の次に来るのは、承であって、結ではない。高校野球は転と承を繰り返しながら発展してきたが、今年から来年にかけては、その中でも大きな「転」であることは間違いない。
(文=大島 裕史)
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