3年生座談会 日本大学豊山高等学校「夏ベスト8!リベンジを誓った夏」【前編】
2000年の甲子園に出場経験のある日大豊山野球部。昨年の夏には、先輩達が東東京準優勝という結果を残し、今年こそは16年ぶりの甲子園への期待が高まっていたが、秋・春と強敵相手に結果が残せず、夏の大会はノーシードで始まった。そして準々決勝で、今年の東東京大会準優勝校・東亜学園に敗れ、ベスト8で夏を終えた。そんな日大豊山野球部3年生に、この3年間の高校野球生活を振り返っていただいた。
【座談会メンバー】
山本 日向:左投左打、ピッチャー コントロール重視の投手として活躍
秋庭 蓮:右投右打、キャッチャー 攻守の要 粘り強いリードで勝利に導く
横尾 祐太:右投右打 サード 長打力抜群のスラッガー
日大豊山奥村優太:左投げ左打ち レフト 常に結果を残す巧打者 学業も優秀で、野球部ではトップクラスの成績を誇る
新チームの始まりは、チームを一つに力を合わせていくこと
秋庭 蓮選手(日本大学豊山高等学校)
――昨年の夏、東東京を準優勝で終え注目が集まる中、新チームの始まりはどういった感じでしたか?
秋庭:準優勝した時のチームには、エースの吉村 貢司郎選手(現・國學院大)がいて、吉村さんはピンチでも抑えてくれることや打撃の方でも頼れましたし、そのおかげで勝ち上がっていくことが出来ました。しかし自分達の代は、ずば抜けた選手がいなかったので、チームが一つになってチャンスを作っていき、そのチャンスをいかにものにできるかっていうのが、今年の勝敗を分けると上野 満監督にも言われていたので、新チームが始まった当初はチームが1つになって力を合わせていく始まりでしたね。
――チームが一つにという念頭の下迎えた秋の大会ですが、都大会に進出するも明大中野に1対2で敗れてしまいましたが、この試合はどのように捉えましたか?
秋庭:明大中野のエース・川西 雄大選手の対策はしていたのですが、マシンが投げる球と人が投げる球は全然違うので、実際に対戦してみると苦戦する部分がありました。スコアだけ見たらいい試合だと感じるのですが、ミスが重なって点を取られてしまったという感じはありますね。送るべきところで送ることができれば勝てたと思うので、終わった後に悔いは残りました。
周囲からの期待の分、プレッシャーもかかっていた秋の大会。続いては細かいミスで勝ちを手にすることができず悔いが残る中、迎えた日大豊山の厳しく辛い冬について伺った。
5泊6日の地獄の合宿で得たもの
奥村 優太選手(日本大学豊山高等学校)
――少し早い冬を迎えましたが、各自でどういった課題を持って一冬を過ごしてきましたか?
秋庭:冬がとにかく辛いのは、誰しもが知っていることですけど、その辛い練習をいかに自分のためにしていくかということを思っていました。それと自分はキャプテンなので、周りには常に笑って話しかけていました。また、やっぱり打つことでしかチームを勝たせることが出来ないので、スイングや振り込みなどに関しては誰よりも振ってきた自信はあります。
横尾:自分は秋の大会で4番を打たせてもらいましたが、明大中野戦(試合レポート)でも打てず悔いが残りました。そのため今年の冬は、1日1000本の素振りを目標として誰よりも振り込むことを意識して一冬を過ごしていきました。
山本:秋は9回2失点で悪くはなかったのですけど、相手ピッチャーと比べると、ここぞという場面でのストレートやコントロールなどの質が自分とは全然違っていて、そこがとても悔しかったので、春・夏は自分が全試合0で抑えるという気持ちを持ち続けて、冬は走り続けました。
奥村:冬は自分自身、体重を増やそうと心がけていたので、食事面やトレーニングなども含めて最低5キロぐらいは増やそうと思って冬を過ごしていました。結局、秋の時は体重が70~72キロほどだったのですが、冬を超えたときは78~80キロほどまで増やしていくことが出来ました。
――各々、それぞれの課題に取り組まれていましたが、冬の練習で思い出深いエピソードなどはありましたか?
秋庭:年末になると、一週間ぐらい静岡の方に合宿に行くのですが、朝は4時半起きの5時から朝練で、夜は11時に寝ます。飯も食わされ、練習ではずっと振って、走って、声を出してっていう、楽な時間がほとんどありませんでした。それが5泊6日も続くので、本当に家に着いた時の達成感は凄かったです(笑)。
山本:投手はひたすら走るのですけど、3日間で大体100キロほど走ります。
全員:笑
秋庭:その合宿を乗り越えて、チームが一つになり成長していくことが出来ました。
昨年の夏に敗れた関東一と再び決戦!
関東一戦に先発した山本 日向選手(日本大学豊山高等学校)
辛く厳しい冬を超え、個々だけではなくチームとしてもさらに大きくなった日大豊山。春の大会では、1回戦、2回戦を強打で圧倒し、迎えた関東一との3回戦。夏の借りを返すためにも負けられない一戦であったが一矢報いることが出来ず、リベンジは果たせなかった。
■試合レポート:関東一vs日大豊山
――関東一に敗れてしまいましたが、この試合で足りないものはどういったものだと感じましたか?
秋庭:昨年の夏に14対2という形で負けてしまい、決勝戦なので9回までは試合をすることが出来たのですけど、本当だったらコールド負けだったので、この春で対戦が決まった時は、何としても勝ちたいという思いで臨みました。途中までは2対2の良い試合で運べていたのですけど、一度相手の4番バッターにホームランを打たれてから崩れてしまった部分での我慢が、関東一と対戦してみて足りないと感じました。
――関東一との対戦では我慢の差というものが勝敗を分けてしまいましたが、それぞれ夏までにこうしていこうなどといったものはありましたか?
山本:関東一と対戦した時、ボール球を全然振ってくれなかったので、苦し紛れにストライクゾーンを投げたら打たれてしまいました。この試合が終わって、夏までに決め球としてチェンジアップを覚えようと決めまして、その決め球を活かす真っ直ぐに磨きをかけました。コントロールで勝負していくのはもちろんのことですが、夏まで緩急で勝負出来る投手になろうと決めました。
横尾:関東一との試合で、初回に一死一、二塁で自分の打席だったのですけど、ゲッツー初回のチャンスを潰してしまいました。対する関東一の4番はホームランを打つなど、勝負強いバッターだと感じさせられました。そういったこともあって、夏に向けては重いバットをひたすら振っていきました。
奥村:関東一の先発からは打っていたのですけど、6回か7回ぐらいで相手ピッチャーが2年生の高橋という投手に代わりました。最初はずっと外角で、ボールの見極めも出来ていなかったのですけど、最後はインコースにズバッとこられて、手を出すことができませんでした。その場面で、例えばカットとかが出来ればまた変わっていたと思うので、対応力を夏までに課題としていました。
秋の課題を克服し、また新たに生まれた春の課題。残すところは夏の大会。関東一との対戦は悔しさがあったものの、この試合を選手達はネガティブになるのではなく前向きに捉えていた。
ここまでは、新チームから春までを振り返っていただきました。後編では、激しいシーソーゲームとなった岩倉戦での心境や高校野球というものについて振り返ってもらいます!
今年も大好評!
【僕らの熱い夏2016 特設ページ】