人間教育・前編「学校生活からの取り組みが重要」平川 敦(北海)vol.2
連載第1回のコラムで、平川 敦(ひらかわ・おさむ)監督(北海)の「高校野球は教育の一環だというのが前提、学生野球憲章にのっとった教育の一貫というのが一番じゃないですかねぇ。人間教育というのがベースになります」という言葉を紹介した。今回はその「人間教育」に迫ってみたい。
自分で物事を考えられる人間になるために
平川 敦監督(北海)
平川監督が考える人間教育とは何なのか?
「物の考え方じゃあないでしょうかね。物事正解はないと思うので、しっかり自分で考えることができて、色んなことを考えて。考え方のちょっとでも力になったり、ベースになれればなぁと考えています。」
つまり人間教育は、「自分で考える力」を教え育てる事と言える。
自分で物事を考えるためには、ベースとなる考え方が必要になる。平川監督の伝えたいベースとなる考え方とは何なのだろうか?
第2回、3回では平川監督の考えるベースとなる「考え方」と、その「考え方」を身についけた時どのような結果がその先にあるのかを順に紐解いていきたい。
[page_break:「考え方」を身についけるための場である学校生活]「考え方」を身についけるための場である学校生活
雪に覆われた北海グラウンド
「高校野球というのは部活動になるので、学校体育(学校の責任のもとに行なわれる体育)になります。社会体育(学校体育以外の体育の総称)じゃなくて。だから、学校体育、部活の野球になるから、学校生活・学校を大事にさせることが、本人たちの考え方なり、社会性なりそういうのは身につくと思うので大事だと僕はおもいます」
「ホームルームから授業から、先生に対して、大人に対してもそうだし、友達、同級生、異性、先輩、後輩、色んなものを学ぶベースになっているのはやっぱり学校だと思います」
このように平川監督が「考え方」を身につける上で大切にしているのが学校生活からの学びである。
学校生活もグランド上でも結局は一緒
「結局、学校の生活も、グランド上も一緒だと思うんですよね」
平川監督の言葉である。この言葉の真意はどこにあるのだろうか?
「野球も人がすることだし、その人はグランドにいようが、学校にいようが変わらないわけだから。例えば勉強と合わせると、得意科目と不得意科目があって、得意科目は一生懸命やるけども、不得意科目はやらないってなると、野球で言ったら、好きな練習はするけど、嫌いな練習はしない、自分は必要だと思うことはするけど、必要と思わないことはしない、など考え方のベースは全部一緒だと思うんですよね。
僕は、理系は得意だけど、文系は苦手だからやらないとか、授業中眠たくなって、眠たいから寝るとか。でもそれは野球も一緒で、守備はうまいけど、攻撃は苦手だとか、だから苦手な練習もあれば得意な練習もあったり、やなことがあったら、好きなこともあったり。
好きなことはなんでもすると思うんですけど、野球の練習でも絶対嫌なこともあると思うんですよ。長い練習は嫌い、つらい練習嫌い、野球の技術練習はすきだけれども、トレーニング系の練習は嫌い、でもみんな必要だと思うんですよね。だから自分の不得意なところから逃げないで、それに向かっていく姿勢だとか、我慢するだとか、それはどこで身につけるかと行ったら、それはやはり学校生活だったり、家庭生活だったり」
つまり、平川監督は学校生活でも高校野球においても、人それぞれの「考え方のベース」は変わらないと言っている。だからこそ、この「考え方」を鍛えるために、学校生活からの取り組みが重要になってくるのである。
文=田中 実