鹿児島実・久保 克之名誉監督「己を知り、相手を知る。「ミス」をなくし「負けない」チームを作る 」【後編】

鹿児島実・久保 克之名誉監督

　近代野球は情報戦でもある。相手をどれだけ知っているかは、ときに勝敗を分けるポイントにもなりうる。久保さんがそのことを意識するようになったのは、正確には覚えていないが、九州高校野球の監督会ができた30年ほど前からだったのではないかと記憶している。

　九州全体のレベルアップを目指そうと監督会ができたことで、春秋の九州大会前には監督同士の懇親会が定期的に催され、指導者同士の交流が徐々に深まっていった。そんな中で「九州でも福岡、熊本あたりは、相手の情報分析が特に進んでいた」と感じた。実際に観戦したり、ビデオで録画した映像を投手、打者ごとに分析し、相手の特徴をつかんでから試合に臨むことが、全国で勝っている県では当たり前に取り入れられていることを知った。以来、鹿児島実でも細かな情報収集に取り組むようになった。

　久保さんが監督をしていた当時のデータは残っていなかったが、現役チームが春の県大会の対戦相手用にとっていたデータを見せてもらった。相手投手の各打者への配球パターンや球種、各打者が打った打球の方向などが詳細に記録されていた。取材に訪れた5月11日は、13日に招待野球で横浜（神奈川）と対戦する前だったが、春の神奈川大会の映像が届いていてパソコンで見ていた。

「こういった情報に頼りすぎるのは良くないですが…」と前置きしつつ「相手を知ることで覚悟が決まって、勝てる確信が生まれてくるのも確かです」という。厳しい練習で己を鍛え、綿密な情報収集で相手を知れば「百戦危うからず」の境地に達したのが96年のセンバツ優勝だった。

　エース下窪は、前年秋の九州大会で防御率0.27という成績を残しており、切れのあるスライダーを武器に抜群の安定感があった。長打力こそないが、個々の運動能力が高く「切れ味の鋭いカミソリのような野球ができるチームだった」。失策数は5試合で5、バントのサインは18回出して17回成功し、三振数は5試合21、1試合平均4.2個の少なさだった。決勝以外の4試合は全て2点差以内と下窪を中心にして守り勝った。「勝てる野球」の前に確実性の高い「負けない野球」を追求して結実した優勝といえる。

　準決勝の岡山城東戦が終わって、決勝の智弁和歌山戦までの間には、相手の試合のビデオを見て研究し、対策を練るミーティングをした。「私は夜中に一度目覚めてもう一度ビデオを見ました。おかげで寝不足でした」と苦笑する。それは、無欲無心、捨て身でぶつかってきた中で、監督30年目を迎える節目に初めて全国の頂点への挑戦権を得て初めて芽生えた「勝ちたい」という欲との戦いだったのかもしれない。

　自分のチームと相手の情報とを様々分析し、最終的には「3年生と2年生の違いがものをいう」と覚悟が決まった。当時の智弁和歌山のエース髙塚 信幸（元近鉄）は140キロを超える直球を持つ好投手。下窪と甲乙つけがたい実力を持っていたが、学年は1つ下で、連戦の最後は経験で勝る3年生が勝つと信じることでいつもと同じ心境で試合に臨むことができた。結果は6対3で勝利し、鹿児島に初めて紫紺の優勝旗をもたらすことができた。

鹿児島実・久保 克之名誉監督

　長年の経験から「甲子園で勝てるチーム」は、心技体で高い能力を持っていることに加えて「スピード感」があるという。ボールや足、打球のスピードもさることながら、「生活全体のリズムにスピード感を持っている」。

　甲子園で試合があるときは、球場入りしてから試合を終えて出るまで、分刻みの細かいスケジュールで動く。あらかじめその日のスケジュールを確認しつつ、次に何をやるか常に把握して行動できるスピード感が必要だ。それを怠っていると、野球の力を持っているチームでも、雰囲気に流されて力を発揮できずに敗れることが往々にしてある。久保さん自身も長年、いろんな試行錯誤を積み重ねてたどり着いた発想だった。

　監督を勇退して15年になる。久保さんの最大のライバルだった樟南・枦山監督も10年に勇退し、一つの時代に区切りがついた。女子高から新たに硬式野球部を立ち上げた神村学園が05年に初出場のセンバツで準優勝し、瞬く間に県の上位の常連校になった。県立校の鹿児島工は06年夏に4強入り。13年春には尚志館、14年春には鹿児島大島、夏には鹿屋中央と地方校が甲子園を経験し、かつてないほど群雄割拠の時代になろうとしている。

　久保さんの教え子である宮下監督率いる鹿児島実、枦山監督の教え子・山之口 和也監督率いる樟南も伝統校としての勝負強さは健在だ。久保さんとしてはかつて自分が目標にし、鹿児島高校野球の草創期からけん引してきた名門・鹿児島商に復活を切に願っている。「強力なライバルが身近にいること」がレベルを引き上げ、全国で勝つ力になることを何より自身の経験で身に染みている。

　近年は野球人口の減少が取りざたされている。少子化やサッカー、バスケットボールなどスポーツ嗜好の多様化など、様々な要因が考えられるが、それでも「野球は魅力的なスポーツ」と言い切る。「麻雀と同じで手数が無数にあり、先の読めない奥深さがある」からだ。

　ただ今、79歳。戦後の混乱期に三角ベースの野球と出会って、気がつけば70年近い日々の大半を野球と関わってきたが、未だにその魅力は底が知れないと感じている。球場でスコアブックをつけるようになったのは、監督を引退して解説者になってから。細かく色分けしたり、メモを書き込んだり、几帳面な性格がにじみ出ている。「現役の頃は、つける暇もありませんでしたが、こうして書いているとどこが試合のポイントだったか、はっきり分かるんですよ」と笑顔がのぞく。時間の許す限り母校のグラウンドにも足を運ぶ。指導をすることはないが、奥深い野球の魅力を追求し、できうる限り多くの人に伝えていきたい想いと情熱は衰えることを知らない。

（取材・文＝政 純一郎）

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