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松山商と今治西が歴史を作り新興の済美が躍進し松山聖陵が追随

2018.06.16

2度の初出場初優勝を成し遂げた上甲正典監督が指導した済美と宇和島東

松山商と今治西が歴史を作り新興の済美が躍進し松山聖陵が追随 | 高校野球ドットコム
上甲監督が指導した済美と宇和島東

 上甲監督自身の2度目の初出場初優勝となる快挙が04年春の済美の全国制覇だった。元々歴史のある女子校だった済美が02年に共学化になったとともに、野球部強化を前面に打ち出した。そこで、指導者として白羽の矢が立ったのが、宇和島東で初出場初優勝を果たし、その後も平井正史投手(オリックス→中日)などを輩出して実績を作り上げた上甲正典監督だった。最初の年は1年生だけで愛媛大会を戦ったが、初戦敗退。翌年も初戦で丹原に敗退するものの、その後の進境著しく、一気に秋季四国大会を制してセンバツ代表になった。これが、済美快進撃の始まりだった。春を制した済美は、夏もそのままの勢いで決勝に進出。その強さが確かなものであることを証明した。

 上甲監督は済美に就任する以前は少しブランクをおいて宇和島東で指揮をとっていた。宇和島東は学校そのものは古く分校から独立したのも明治時代だが、陸の孤島とも言われるくらいに不便な土地柄であることは否定できない。松山市までは特急で1時間半、普通列車だと約3時間もかかるところである。そんな土地で、地元の高校生だけを集めて1988(昭和63)年にはセンバツ優勝を果たしている。小川投手の好投もさることながら、強打が印象的だった。上甲監督の、どんなときにでもベンチで笑顔を失わない明るさは、済美に移ってからも同じスタイルだった。

 その済美安樂智大投手(楽天)を擁して、13年春にも準優勝を果たす。12年は春夏連続出場を果たしている。こうして、済美は愛媛県で近年、最も安定した勢力となっていく。その後、不祥事で対外試合禁止期間などもあったが、17年夏に前年に就任した中矢太監督の下、復活出場を果たしている。

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4つの時代で歴史を作った松山商業

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愛媛県を引っ張った松山商

 もっとも、愛媛県の高校野球といえば、戦前から引っ張っていたのは松山商だった。松山商は香川の高松商と同年の創立だが、野球部の創部は学校創立の翌年の1902(明治35)年で四国で一番古い野球部である。これだけでも、四国の球界リーダーとしての価値はある。1925(大正14)年春に、最大のライバルで前年の優勝校・高松商を下して念願の全国制覇を果たして以来、春2回、夏5回の全国優勝、準優勝も夏4回という記録が残っている。

歴史的には、中京商の春夏連覇の決勝戦の相手として戦ったこともあれば、太田幸司のいた三沢と大会史上初の決勝戦延長18回引き分け再試合を戦ったこともある。96年夏の熊本工との決勝では球史に残る好試合とも言われたもので、延長戦となり矢野右翼手の奇跡の好返球でサヨナラの走者を刺して、その次の回に矢野の二塁打から勝ち越して優勝する。こうして、時代の節目や象徴的な部分で歴史的に名を残すような試合をしているのも特徴だ。

 超名門校だけにOBも錚々たるメンバーが顔を連ねており、高校(中等)野球だけではなく、日本の野球そのものに影響を与えてきた人たちが目白押しである。しかも、時代が移り変わって、新しい学校が台頭してきてもその地位は変わらず、明治~大正~昭和~平成と野球部が確実に4つの時代で歴史を作ってきていることである。

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伝統校が活躍する愛媛県

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近年実力を付けてきた松山聖陵

 松山商に負けないだけの歴史を誇るのが今治西だ。全国大会出場ということでいえば、初出場は松山商よりも1年早く、打倒香川勢を果たした最初の学校でもあった。ただし、大会は米騒動で中止となり、それ以来本当に甲子園出場を果たすには45年を費やすことになる。しかし、その後見事に復活して、県内では松山商のライバルとしての位置づけは変わっていない。全国優勝こそはないが、野球部の存在力としては今治西の大親ともいえる西条以上ともいっていいのではないだろうか。

 その西条は1959(昭和34)年には金子投手や森本潔遊撃手(立教大→三協精機→阪急→中日)などの活躍で優勝を果たしている。また、OBとしては藤田元司(慶応義塾大→日本石油→読売)や池西増夫(関西大→電電近畿)など、NHKの解説として定評のあったプロ・アマの代表格の人がいるというのも特徴といえるかもしれない。西条は、平成になってからも甲子園へ出場してきており、09年にも秋山拓巳投手を擁して春夏連続出場している。こうして時代の中でしっかりと伝統を維持しながらも新しい時代でも頑張っているという姿勢は十分に伝わってくる。伝統校がこういう形でしっかりと活躍しているというのも愛媛県の高校野球の特徴ともいえるだろう。

 歴史を見ると新居浜商が75年に準優勝を果たし、南宇和宇和島東なども活躍した。また、創立100年という古い新顔の丹原も00年夏に甲子園出場を果している。02年夏には川之江が長身の右サイドハンド鎌倉健投手(日本ハム)の活躍でベスト4に進出を果てしている。

 こうしてみると、愛媛の場合はほとんどが公立校が歴史を作ってきたが、私立校としては帝京五と新田がいる。新田はスポーツ校としてラグビーでは花園の常連でもあるが、元松山商の一色俊作監督が90年春に甲子園に連れてきたと思ったら、あれよあれよといううちに準優勝を果たしてしまった。05年春にも出場している。また、帝京五は17年春に48年ぶりの出場を果たした。帝京で95年春に準優投手となり、筑波大を経てロッテ入りしていた小林昭則監督が、プロ引退後は母校のコーチを経て、16年から就任していた。

 そして、近年では済美と並ぶ勢力としては松山聖陵も目が離せない存在だ。創部は70年だったが、県内ではなかなか上位の壁を突破しきれなかった。それが、16年夏にアドゥワ誠投手(広島)で初出場を果たした。そして、17年秋季四国大会ではベスト4となり翌年の春の出場も勝ち取った。

(文:手束 仁

この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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