Column

世界のホームランキング・王貞治の知られざる高校時代を紐解く!

2018.07.09

投手として名を轟かせた高校時代


早稲田実業時代は投手を務めた、王 貞治氏(写真は共同通信社より)

 太平洋戦争が終焉して10年以上が経過して、「もはや戦後ではない」と言われたのが1956(昭和31)年である。それは、日本がその後に迎える高度経済成長への助走の始まりでもあったのだ。時代としては石原慎太郎が『太陽の季節』を引っ提げて青年作家としてさっそうとデビューし、新時代の到来を告げていた。

 その年に高校生として早稲田実に入学したのが、現在のソフトバンクの王貞治会長である。早稲田実を卒業後は、巨人で活躍して世界の本塁打王となり、引退後は巨人監督、さらにはダイエー・ソフトバンク監督を務めて、日本一にも輝いたということは周知のことだが、その時代は高校野球にも新しい波が押し寄せてきていた。

 王自身は1年夏と2年の春夏、3年の春と[stadium]甲子園[/stadium]出場を果たしている。しかし、高校最後の夏は東京大会決勝で明治に敗れて甲子園出場を逃している。投手だった王は、そのピークは実は2年生だった。その証拠に、2年春に出場した57年センバツでは寝屋川柳井久留米商と3試合連続完封で、決勝でも高知商を下して全国制覇を果たしている。

 さらに、夏も出場すると、春に続いて対戦した寝屋川相手に延長11回を無安打に抑えるノーヒットノーランの偉業を果たしている。なお、この大会では県岐阜商の清沢忠彦投手も初戦の津島商工(現津島北)相手にノーヒットノーランを達成している。一大会でノーヒットノーランが相次いだという年でもあった。

 しかし、両校ともに準々決勝で敗退。優勝したのは27年ぶりに広島商が4度目の日本一となった。折しも、広島市が被爆して12年、5歳の時に被爆した選手たちが中心になっての優勝だったということも、今後の日本の右肩上がりの発展への勇気となった。

 広島商の決勝の相手は法政二だったが、この年から5年連続優勝を果たすなど、全盛期を迎えることになる。その法政二の頂点は60年夏と翌年春で、後に巨人で赤い手袋の盗塁王として王貞治長嶋茂雄佐倉→立教大)らとともに活躍する柴田勲投手がいて、浪商尾崎行雄(その後、東映)とともに東西の怪物として騒がれた時代でもあった。


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[page_break:高校野球の歴史における大きな一歩]

高校野球の歴史における大きな一歩


王 貞治氏の高校生だった、1950年代のグローブ

 その少し前に、王投手の時代があったのだが、王投手3年の夏は第40回記念大会でもあり、初めて47都道府県から各1代表が出場することとなった。前年が23代表だったことを思えば、一気に倍増したということになる。

 もっとも、出場校が増えた記念大会でも当時は現在のように[stadium]甲子園[/stadium]で連日4試合を消化し続けるという形式ではなかった。西宮球場も使用して、3回戦までは抽選によって試合が振り分けられるというもので、甲子園出場を果たしながらも開会式で土を踏んだのみで試合は西宮球場で敗れて姿を消したという学校も大宮多治見工東奥義塾、甲賀(現水口)、大分上野丘などいくつかあった。

 この年は、新たなルールも設けられ延長戦は18回で打ち切り、なおも同点の場合は翌日再試合ということになった。これが、即適用されることになったのは準々決勝の第4試合徳島商魚津の試合だった。徳島商は大会屈指の剛腕とも言われていた板東英二擁しており、優勝候補の一つにも挙げられていた。

 対する魚津はエース村椿輝雄でここまで浪華商、東京大会で早稲田実を下して進出してきていた明治、55年春に準優勝を果たすなど北関東の暴れん坊と言われていた桐生といった強豪校を下しての進出だった。いずれも対戦相手の方が評判が高く、それをことごとくなぎ倒してきており、その勢いは富山県の魚津市に見られる蜃気楼にもなぞらえられた。

 0対0での引き分け再試合はさすがに徳島商が3対1で制することになる。徳島商は準決勝でも作新学院を下して決勝進出。決勝は山口県の柳井だったが、さすがの板東も疲労が蓄積してきたか、柳井打線に掴まってしまい0対7で敗れ優勝を逃すことになる。それでも、大会を通じて板東が奪った三振83個という数字は、おそらく未来永劫破られることのないものであろう。

 ちなみに、延長18回引き分け再試合を導入する、直接的な切っ掛けも板東自身だった。というのも、その年の春季四国大会、徳島商は準決勝で高知商と延長16回を戦い何とか勝利すると、翌日の決勝では高松商と対戦して延長25回の末に敗れる。板東は2日間で41イニングを投げたことになったが、さすがに決勝の終盤は疲労が見られた。そんなこともあって、「選手権からは延長は18回で打ち切りにしよう」と設定されたのだが、図らずもその適用第1号が板東のいる徳島商だったのである。

 ところで、ベスト4にはもう1校、高知商が残っていたが、ベスト8を見ると高松商もおり、これは四国大会で板東が準決勝と決勝を戦ったのと同じ相手だ。それだけ、当時は四国勢が強かったということが窺える。事実、翌年には、愛媛の西条が優勝することでもわかるように、この時代の四国勢は全国でも最も高いレベルにあるとも言われていた。

 また、この年の話題としては、当時まだアメリカ合衆国の政治的支配下にあった沖縄から首里が出場して選手宣誓を任された。それと、優勝旗がこの年の大会を機に新調されたことも大きな話題の一つだった。
 こうして、新しい時代の訪れは高校野球の中でも確実に形となって表れていたのだった。

 そしてこの時代、今のように高校生は金属バットを使ってバッティングをしていたわけではない。王貞治の高校時代の球児は、高校生であろうと木製バットを使って練習はもちろん、試合でバッティングをしていたのだ。

 今のように金属バットを用いてバッティングをするようになったのは、もう少し先の時代である。

文・手束仁


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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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