Column

【三年生座談会】鹿児島情報高校(鹿児島)

2013.08.19

僕らの熱い夏

鹿児島情報高等学校野球部

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 この夏の鹿児島大会は混戦が予想されていた。昨秋・鹿児島情報、今春・鹿屋中央NHK旗鹿児島実と大会ごとの優勝校が入れ替わり、夏のシード校を決める投票も割れ、僅少差の争いになった。センバツに尚志館が出場したことで、初めて大隅半島からの甲子園出場校が誕生し、大隅からの春夏連続出場があるかも注目の1つだった。
 第1シードに選ばれた鹿児島情報や大隅勢などの「新興勢力」が鹿児島の球史を塗り替えるのか、それとも鹿児島実樟南神村学園などの強豪校が待ったをかけるのか、見どころの多い大会だった。
 鹿児島情報はこの夏を盛り上げた主役の1つだった。大会屈指の好投手・二木 康太を擁し、昨秋優勝、今春準優勝、2季連続九州大会出場の実績を引っ提げ、シードの一番手に選ばれた。ちなみに、12年夏までの実績は、夏は11年のベスト8が最高戦績であり、秋春も99年秋にベスト4入りして地元開催の九州大会に1度出場したことがあるのみである。

 悲願の甲子園初出場は果たせなかったが、歴史を塗り替えようと夏に挑んだ鹿児島情報の中心選手4人に話を聞いた。

座談会メンバー

下之薗 誠也(主将、遊撃手)

山崎 裕貴(三塁手)

二木 康太(投手)

平岡 孝太(捕手)

「このメンバーなら優勝できる」

――今年はシードがどうなるかも読めないほど、混戦が予想された夏でした。第1シードとして挑む心境やチーム状態はどうでしたか?

下之薗 誠也(以下「下之薗」) 第1シードは尚志館か、鹿児島実だと思っていたので、うちが選ばれてびっくりしました。でも、みんなに話すと「よっしゃー!」と喜んでくれて、良い雰囲気で夏を迎えることはできたと思います。

下之薗 誠也選手

二木 康太(以下「二木」) 5月のNHK旗鹿屋工にコールド負け(2013年5月27日)でしたが、そのことを引きずることはありませんでした。その後の練習試合も良い感じでいけていたので、夏前はNHK旗の悪いイメージは頭にありませんでした。

平岡 孝太(以下「平岡」) 鹿屋工は秋、春とうちに負けたのを修正して、逆方向にしっかり強い打球を打ち込んでいました。春と同じリードをしたのが反省点でした。高低差を使わず、外角中心の弱気な配球をしていたところを、しっかり踏み込んで打たれていました。

 大会が近付いてくると、二木の調子も上がっていたので不安はありませんでした。

――夏を制するためには打撃力の向上がカギでしたが、そのための準備はどうでしたか?

下之薗 狙い球を絞り、10割の力をぶつけるのではなく、8、9割の力で、センターから逆方向に打つ意識を、NHK旗から夏までチーム内で徹底して高めていくことに取り組んでいました。うちは二木が中心のチームですから、エースにかかる負担は大きくなります。体力的にきつくなる準決勝、決勝の終盤を勝ち抜くためにも、打撃陣が頑張って二木を助けるつもりで準備をしてきました。

山崎 裕貴(以下「山崎」) 打ってやろうという強い気持ちを持っていました。自分が打たなかったら勝てないぐらいのつもりで、しっかり振り込みました。
「甲子園」を意識せず、目の前の一戦一戦を大事に戦っていくことに集中していました。

二木 打撃の調子も上がってきていたので、僕がしっかり投げて打撃陣が点を取ってくれれば、このメンバーなら優勝できると思っていました。

平岡 NHK旗で負けた悔しさが良い刺激になって、練習に取り組めていたと思います。

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[page_break:夏の鹿児島大会を振り返って]

夏の鹿児島大会を振り返って

――実際の夏の大会はどうでしたか?

二木 大会を通して調子は良くなかったです。直球のスピードも良い時ほど出ていなかったし、フォークも抜けたり、引っかかったりして思うように制球できなかった。

 大会前の調整も、大会中の体調も良かったけど、試合に入る気持ちが秋春と比べると微妙に違いました。秋春は自分の投球をするだけと楽しむ余裕があったのに、夏は「負けたら終わり」ということもあって「勝ってやろう」という気持ちが強すぎたと今思います。

平岡 終盤になるといつも通りの良いボールがきていたのですが、初回に点を取られることが多くて、相手にのまれていたように感じました。試合の入り方の難しさを感じました。

――NHK旗まで3番・下之薗、4番・山崎で組んでいた打順が、夏は3、4番が入れ替わり、セカンドの辻 拓馬君(3年)がレフトに入って、セカンドに1年生の和田 佳太君が入る新打順でした。

山崎 打順は何番でも僕の仕事は変わりません。自分の打撃をすることに集中していました。

下之薗 山崎が5番に入ったり、大会直前の福岡遠征までいろんな打順を試し、最終的にこの打順になったのは夏に入ってからだったと思います。この夏は4番を任されましたが、自分では楽な気持ちで打席に入ったつもりでしたが、思うような結果が残せませんでした。知らず知らずのうちに力が入っていたのかもしれません。

山崎 裕貴選手

――準々決勝の神村学園戦(2013年7月19日)は、初回に3点先制されての逆転劇でした。

下之薗 初回に3点取られたのは正直ヤバかったですが、まだ初回だから1点ずつ返していこうとみんなで話していました。相手投手のボールもそこまできてなくて、低めのボールもしっかり見極められていたので、とらえられる自信はありました。

二木 初回に松木 隆成君(3年)と大坪 直希君(3年)に打たれましたが、当たったのはバットの先っぽで、完ぺきにとらえられた打球じゃなく、飛んだコースが良かっただけと切り替えられました。今大会の中では良いボールが投げられた試合だったと思います。

――神村学園戦から準決勝の樟南戦(2013年7月22日)まで2日間ありましたが、その間の調整はどうしていましたか?

下之薗 打撃に関しては相手が左投手ということもあって、もう一度、センターから右方向に打つ意識を徹底して練習しました。

 準々決勝でエラーの多かった守備は、技術的なことよりも精神面で、ボールが来たときに緊張したり、慌てることなく冷静に対処できることがカギだと思っていました。

山崎 神村学園戦は「負けた」と思って開き直ったところから思い切ったプレーができたことが勝ちにつながりました。樟南も良い左投手だし、いろいろ考えても良い結果は出ないから、しっかりフルスイングできる準備をしていました。

二木 2日間、投げ込みはせず、軽いキャッチボールやフォームの確認、ジョギングやダッシュなどの走り込みで体調を整えました。思ったほど疲れも感じませんでした。勝つとしたら1対0とか2対1とか、ロースコアの展開になるので、自分の投球をしっかりできることが大事だと思っていました。

平岡 秋、春と違って、相手のレベルも上がっており、二木の負担も大きくなるから、できるだけ楽に投げさせるような準備をしていました。

――樟南戦は相手のうまい走塁もあって、わずか6球で先制点を許しました。

二木 先頭打者の二塁打は「ついてないな」と思い、次を抑えようと切り替えたところがうまく攻められて一、三塁になり、犠牲フライで先制点を許した。うちとしては確かに嫌な展開でしたが、逆に言えば無死一、三塁のピンチを1点でしのげたと前向きに考えようと思いました。

――樟南山下 敦大君(3年)は右打者の多い鹿児島情報戦からスクリューボールを解禁して、非常に良い投球をしました。実際に打席に立った印象はどうでしたか?

山崎 (6回まで3打席無安打2三振)これまでも何度か対戦しているので、打てない投手ではないと思っていましたが、新しいボールがあるとは考えてもいなくて、びっくりしました。スクリューはボール球なのに振ってしまうキレがありました。正直、あそこまで調子が良いとは思わなかったです。

下之薗 監督さんからは「高めのボールを狙え」と指示が出ていましたが、高めにくることがほとんどありませんでした。

 秋に対戦した時のイメージとは全く変わっていて、いろんなボールを持っていて、狙っていたボールが全然来なくて絞り切れなかった。それだけ緒方 壮助君(3年)の配球も良かったです。

 先制点は取られたけど、チャンスは必ず来るから、集中してそれをものにしようと声を掛けていました。実際に終盤、チャンスはあったけど、ものにできなかった。目に見えない気持ちや気迫の面で、自分たちより相手が上だったと思いました。

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[page_break:最後は気迫の差]

最後は気迫の差

――4、7、8回と失点した場面ではいずれもエラーが絡んでしまいました。「堅守」が持ち味のチームとしては悔やまれる失点シーンでした。

下之薗 (4回は先頭打者の打球を1年生の二塁手がエラー)エラーはつきものだし、1年生なんだから仕方がないと声もかけましたが、硬さはとれませんでした。ショートの僕がカバーしなきゃいけないと思っていたところが、バント処理の二塁送球を僕が弾いてしまった。併殺を取らなきゃと走者に目がいってしまった。僕の中にも焦りがありました。

二木 エラーを引きずることなく、次の打者を抑えることが自分の仕事と言い聞かせました。(4回、一死一、二塁で7番・北郷 健太郎に2点タイムリー二塁打を打たれた場面)北郷君は前の試合でスクイズを決めたこともあってバントもうまいイメージがあった。「バントがある」と思った分、簡単に行き過ぎてしまって、良いボールを投げられなかった。

――樟南はこの試合12の犠打、うち11個が送りバントでした。

二木 他のチームならバントのうまくない打者に対しては、速いボールを投げていれば打ち上げたり、空振りをしてくれるけど、樟南にはそれが全くなかった。2ストライクに追い込まれても、しっかりバントを決めてきて、良いチームだと思いました。

山崎 いつもより、バント処理の機会が多くて守る方も大変でした。

平岡 初球で決めてきたかと思えば、追い込まれても決められた。直球でも変化球でも、全部決めるうまさがありました。

二木 康太選手

――9回は代打の四元 駿平君(3年)が初めての長打を放ち、山崎君の二塁打で1点を返し、意地を見せました。

下之薗 攻撃前の円陣では、あきらめたら終わりだから最後まであきらめないこと、ランナーをためてつないでいこうと気合を入れました。

山崎 最後の打席だったので、中途半端で終わるのが嫌だったので思い切り振った結果がああなったので良かったです。

――準決勝のあと、樟南と鹿実の決勝戦(2013年7月23日)も観戦に来ていましたが、何か自分たちとの違いを感じた部分はありますか?

山崎 1点を取りにいくことに対する気持ちの入れ方が違うと感じました。

平岡 樟南にも、鹿実にも、勝って甲子園に行く気持ちの強さがありました。

二木 技術的な面では、樟南にも、鹿実にも負けているとは思わなかった。最後は気迫の差だったかも。

下之薗 自分のプレーに対する自信を感じました。バントでも、打撃でも、守備でも、自分のできること、やるべきプレーを、自信を持ってやっていました。

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[page_break:鹿児島情報での3年間]

鹿児島情報での3年間

――話題を変えて、皆さんのこれまでの高校野球生活を振り返りたいと思います。皆さんが鹿児島情報に進学を決めた理由は何ですか?

山崎 松元中時代は県大会で3位の実績がありました。他のチームからも誘いはありましたが、鹿児島情報の監督さんから「どうしても来てほしい」と言われて、そこまで期待されているなら、信頼できる監督さんだと思って鹿児島情報に行こうと思いました。

平岡 僕は吉野中で捕手でしたが、山崎や下之薗が行くなら、強いチームになるかもと思いました。

下之薗 僕らの同学年では東市来中の横田 慎太郎君(3年)や少年野球で世界大会に出た福永 泰志君(3年)や有名な選手が鹿児島実に行くことになっていて強くなる印象がありました。喜入中出身の僕も、元々は鹿児島実に行きたいと思っていました。山崎や平岡をはじめ、他の同級生もそれぞれの学校でエースだったり、核になっていた選手が多かったので強くなると思いました。こいつらと一緒に鹿児島実樟南を倒すことを3年間目指してやってきました。

二木 僕以外の3人は中学でも有名な選手でした。国分中の僕は、180センチないくらいでそこそこの身長があって、ストライクはとれますが、スピードは全然ない投手でした。

――鹿児島情報の練習はどうでしたか?

二木 学校からグラウンドまで12キロぐらいあって、バッテリーは毎日、走って通っていました。1時間以内でグラウンドに着きなさいというのが監督さんの指示でした。他の部員を乗せたバスが出発するよりも早く学校を出て、いつも途中で追い越されます。こっちを見ながら笑っているのを見ていると「お前らも走ってみろよ」とイライラしました(笑)。でもあの走りがなかったらこんな投手になっていなかったので、今振り返ると良かったと思います。

――チームのコンセプトはバッテリーを軸にした守備の野球がベースでした。

平岡孝太選手

山崎 僕は打撃が好きで、正直守備はあまり好きではなかったですが、みんなその気になって練習していたので、僕も頑張ろうと本気で取り組みました。

平岡 守れないチームは勝てない。まずはしっかり守るところから、攻撃も始まる。

下之薗 日々の練習では、フリー打撃の合間に監督さんから内野2、3人で個人ノックを受けて技術を磨きました。こだわりがあったのはキャッチボールです。3人1組で等間隔に並び、素早く正確な送球練習は毎日のキャッチボールで必ず取り入れていました。

 秋の前は守備練習に割く時間が多かったけど、夏前は打撃練習がほぼ中心になっていました。

――お昼は1、2キロの弁当を家で準備して持ってくるのが義務付けられていたそうですが、きつくなかった?

一同 きつかったです!でも今は慣れました(笑)

――体重はどのぐらい増えましたか?

山崎 8キロ!
二木 12、3キロ!
下之薗 10キロ!
平岡 5キロ!

――一番きつかった練習は何でしたか?

下之薗 冬場の筋トレが一番きつかったですね。平日はこのグラウンドではなく慈眼寺の谷山神社に行って、坂道や階段を何本もダッシュしたり、筋トレをしていました。練習の量やきつさは他の強豪校にも負けないぐらいやってきたと思います。

――鹿児島の歴史を塗り替えることに挑んだ夏。甲子園の夢は果たせなかったけど、今終わってみて後輩たちに伝えたいこと、自分の今後について語ってください。

二木 後輩たちは自分たちの代と比べられて大変だと思うけど、最後の勝負は夏なので、たとえ秋、春勝てなかったとしても、あきらめず監督さんの指導についていって欲しい。
 自分は鹿児島情報に来て監督さんに育ててもらったからこそ、こんな投手になれたと思っています。本当は甲子園に出ることで監督さんに恩返ししたかったけど、それは叶わなかった。高卒でも、大卒、社会人からでも、いつかプロに行くのが自分の夢。自分がプロで投げている姿を監督さんに見せることで恩返しがしたいです。

山崎 後輩たちにはいろいろ応援してもらったり、迷惑もかけた。自分たちが行けなかった甲子園への想いは後輩に託すしかない。どこのチームよりも練習して、甲子園に後輩たちが行ってくれたらうれしいです。

 僕自身は気持ちも、技術も、まだまだ未熟な選手なので、大学に行って鍛えて、もっと良い選手になりたいです。

平岡 鹿児島情報で3年間野球をしてきて、きつい練習ばかりで正直早く引退したいと思っていました(笑)。そんなきつい中でも主将や仲間が声を掛けてくれて、みんなで頑張ってきたから、秋春の九州大会や、夏のベスト4という結果につながったと思います。

 後輩たちも、これからきつい練習が待っているけど、妥協せず高い目標を持って練習すれば甲子園につながる。自分たちが果たせなかった甲子園にぜひ行って欲しいです。 大学でも野球を続けて、活躍している姿を監督さんに見せることで、恩返しがしたいです。

下之薗 主将として声をかけたり、時には厳しいことも言ったりして、チームをまとめていくのは大変だったけど、みんながついてきてくれたことに感謝しています。「樟南鹿児島実を倒して甲子園に行く」と強い気持ちを持って高校野球に取り組んできました。甲子園出場は果たせなかったけど、自分たちのやってきたことは間違いじゃなかったと思っています。後輩たちも、強いライバルを倒して甲子園に行く強い気持ちで野球に取り組んで欲しいです。

 後輩たちも、これからきつい練習が待っているけど、妥協せず高い目標を持って練習すれば甲子園につながる。自分たちが果たせなかった甲子園にぜひ行って欲しいです。
 僕も大学で野球を続けるので、今よりも更に技術も、精神面もレベルアップして活躍している姿をみんなに見てもらいたいです。

(取材・構成=政純一郎

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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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