センバツ高校野球のさなか、昨日の第3試合終了後、「被災地に学ぶ会」の報告会に行ってまいりました。
世話人の方々の体験報告や大阪産業大学硬式野球部や学生たちのディスカッション、被災地の避難所のリーダーを務められていた、浅野仁美さんの講演など充実した時間でした。
震災で我々が感じたこと、それぞれにあると思います。浅野さんの講演では、知らなかった避難所であった現実の話を聞かせていただき、被害状況や死者の数の多さだけが震災の悲惨さを伝えるのではないなと思いました。我々が知らない間に、こんな困難があり、1年を経てきたのだ、と考えると想像を絶しました。
希望、勇気、感動。
どれほどの人が当時、イメージで来たのだろう。僕たちが普段軽く使っている言葉も、前を向き始めた時、この言葉の重みが出始めたのではないだろうか。
さて、先日の日記では多くの反響をいただきました。ブログで100近くのイイネをいただけたのには驚きました。多くの方に現状を伝えることができたのではないかと思います。
とはいえ、僕自身、あれが正しかったのかな?と数日間、悩みました。
ああやって、ブログに書くことに、未来はあるのかなぁということです。あの場で、「その質問は良くない」ということを質さずにして、ただ、ブログに取り上げるという行為が正しかったのかどうか。
僕自身、ちょっとわかんなかったです。
ただ、きょうの浅野さんの講演を聴かせていただき、ちょっとだけ考えたことがありました。
浅野さんは講演の中で「良い悪いではなく、別のところに問題がある」というお話をされていました。
あの場で阿部君に対しての質問をしたことが正しいかどうかなのではなく、あの記者があの質問をなぜ、したのか。しなければいけなかったのか、そこを見ていかないといけないのではないかということですね。
ストーリーを作るためには「必要悪」なこともメディアの人間はしていかなければいけないという発想がありますよね。
質問自体は悪いけど、それを伝えるのがメディアなんだよと。被取材者の心情なんて、イチイチ、気にしていたら、ジャーナリズムは成り立たない、と。
でもね、それが何よりの問題かなと思います。
メディアの在り方が果たしてどうなのか。そんなことを考えました。
高校生に対して、あんな質問をする。ヒドイことですよね。記者が悪いのか、質問が悪いのか。そうではなくて、何か問題あるのだろう?と。
メディアの存在、発想そのもの事態が、問題なのではないでしょうか。
売上、視聴率のためのジャーナリズムは、何ももたらさないと思います。
もちろん、「売れなくていい」ということではないけれど…
そんな感じです





