こちらの想いを伝えるのが難しいなぁと思う今日この頃です。
先日、ツイッターでのこと。
24時間テレビで、何キロかを完走した「はるな愛」が号泣していたと聞いて、あそこで、「号泣せんかったら、もっとすごいよな」とつぶやいた。
みんなが泣くであろう場面で、泣かずに整然としていたら、すごく格好いいと思ったから、そう、つぶやいたんですけど、ある人から突っ込まれた。
「80何キロも、走ったんだから、泣いたっていいじゃない」
僕は「泣くな!」っていったんじゃなくて、泣かなかったら、すごいよなって、想像してみただけなんだけど、伝えるって難しいです。
世の中では、そう思っていなくても、読み手の心境でそう思われてしまうことが多々あります。だから、雑誌などはたくさんの編集者が目を通すんだけど、書き手の意図とはちがう形で伝わってしまっているなって思う時、書き手としては、自分の力の無さを大いに感じるものです。拡大解釈されてしまう原因が、自分にもあるわなぁと。
甲子園の決勝戦後に書いたNumberコラム「甲子園の風」の「ガッツポーズ無しの偉業」の原稿に対し、評判が良かったことは以前に書きました。僕的にも手ごたえもあって、編集者からも、ありえんくらいの褒め言葉まで頂き、さらには週間アクセスでもトップと、嬉しいこと続きだったのですが、ここへきて、「Numberのあのコラムと比べて…」と言われ始めた。
聞きようによっては、僕が手を抜いているかのようなんです。ただ、こう思われることは成長の糧であると僕は捉えています。
「いい記事書いた!!」
って、思っていいのは、ほんの一瞬なんです。それが世に出た時点で、その記事は過去のもの。「俺はこんないい記事を書いたんだ」って思い続けることは、次の失敗へ向かっていることと一緒なんですよね。
いわば、僕にはあの記事が、「基準値」になるというわけ。書いた時点では「最高傑作」だったかもしれないけど、世に出た時点で、それは「当り前」。
あのコラムと同等以下の記事を書けば、「面白くない」、「手を抜いた」と言われる。その「当たり前」を、超えていけるように努力することで、自分は成長できるのかなと、自分は幸せだなぁと気付かされました。
改めて記事を書くことの楽しさ、難しさ、面白さを感じているのであります。
頑張ろう!




